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この記事は『週刊文春』さんのホームページで探せませんでした。が、とりあえずURLだけ。
『週刊文春』URL:http://bunshun.topica.ne.jp/index_j.htm
で、内容は、その記事のことを書いた『OHHO日記』を転載します。
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『週刊文春』を買う。税込300円。3月2日号。
倉木麻衣さんが載っているページは154ページ、『近田春夫の考えるヒット155』のところ。
タイトルは、『倉木麻衣に感じられない“ここから始まる何か”』。
『Love, Day After Tomorrow』のジャケット写真の下に、
〈昨年10月に全米デビューしたアメリカ育ちの17歳。本人が作詞を担当している。〉
と堂々と書いている。ほんまか?「アメリカ育ち」なのか?
その上、近田春夫さんは、本文の中で、
〈(前略)聞けばこのお嬢さん、アメリカ育ちとのことで、(後略)〉
と念を押すように書いている。
僕は今まで、倉木麻衣さんが「アメリカ育ち」という話は聞いたことがない。もし「アメリカ育ち」でなかったら週刊文春さん、並びに近田春夫さんはどう責任をとるのだろうか。
〈誰が聴いても、この『Love, Day After
Tomorrow』は宇多田ヒカルの亜流にしか思えないのではないか。〉
から始まる近田春夫さんの文章は、全面、その色で塗られている。
しかし、
〈だけど、このヒトならでは、というものがひとつもない。〉
と言うのは、近田さん、間違っているのではないか。
というか、音楽は、音符の並び方や企画の奇抜さだけで、〈ここから始まる何か〉を感じるものではないと思う。
僕たちが、『Love, Day After
Tomorrow』で感じた、感じ続けているドキドキ感、切迫さは、もう〈ここから〉始まっている。
週刊文春さん、並びに近田春夫さん、とりあえず、倉木麻衣さんが「アメリカ育ち」でなかった時はきちんと、誌面で訂正文を出してほしいと思います。なおかつ、「アメリカ育ち」ということを前提で書かれた文章(2段目後ろから3行目〜3段目前から5行目まで)の再考をお願いしたいと思います。
まさか、しっかり裏をとらないで書いた、ええかげんな記事じゃないでしょうねぇ?
(『OHHO日記』2000年2月27日(日)より)
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