発行は小学館さん。
定価は305円+税(税込320円)。
倉木麻衣さんに関する記事は52ページの後ろから53ページにかけてある。倉木さんの『Stay
by my
side』の時の写真と、宇多田ヒカルさんがライブで歌っている写真も載っている。
その写真の横には、〈第2弾シングル『Stay by my
side』は3月15日に発売されたばかり〉と倉木さんの方にあり、宇多田さんの方には〈ウカウカしてられない!?〉のコメントが添えられている。
〈宇多田ヒカルの強力ライバル
倉木麻衣はデビュー百万枚!〉
と題されたこの記事は、〈総力スクープワイド この「脱線」に警告!〉の6番目として取り上げられている。
〈まずは写真をご覧いただきたい。凛とした雰囲気、意志の強そうな眼差しのこの美少女は、現在高校2年生の倉木麻衣クン(17)である。が、実はこの麻衣クン、ただの女子高生ではない。昨年12月に発売されたシングル『Love,
Day After
Tomorrow』がセールス100万枚を突破、今年最も注目されているスーパーアーティストなのだ。〉
で、始まる文章は、直後に、
〈しかも彼女、日本生まれ、日本育ち(中学校時代は演劇部所属!)のフツーの女の子でありながら、日本デビューに先駆け、「Mai・K」の名で昨年10月に全米デビューも果たしている。〉
と、もろに〈日本生まれ、日本育ち〉しかも〈中学校時代は演劇部所属!〉まで書いてしまっている。
あのあのあの。
僕はこの前に発売されている『週刊文春』の近田春夫さんの文章に対して、間違いがあるのでは、と言ってしまったのだが、それを指摘したことを後悔し出している。
というのも、倉木さんが〈日本生まれの、日本育ち〉の歌手だということになれば、「倉木麻衣探し」が始まるのではないかと思ったからだ。
もう遅いかもしれないが、「倉木さんは今、アメリカにいる」と嘘をつくことをしないと、もう、マスコミや周りの目から逃げることはできないのじゃないか、と考えている。
せめてあと1年。
倉木麻衣さんの周りで波風がこれ以上立たず、無事高校を卒業できるようにしてあげたい。そして、デビューしたことで、大好きな歌を歌うことが、逆に大嫌いにならないようにしてあげたいと思う。そして、倉木さんへのいわれもない批判などは、全部僕らの、みんなのホームページで受けとめてあげたいと思う。
なのに、『週刊ポスト』さん、あのあのあの、である。そうもはっきりと。まるで、『週刊文春』さんへの当てつけのように感じてしまったのですね。
まぁ、それはおいといて。
この記事の全編を覆っているのは、〈何から何までクリソツ!〉という宇多田ヒカルさんとの比較である。
〈年齢〉〈音楽ジャンル〉〈ブレークのきっかけ〉〈プロモーション戦略〉〈好きなアーティスト〉〈趣味〉
とことごとく一緒ということを指摘している。(何か全部答えたくなるような項目であるなぁ)
そして、この〈“パクリ説”〉に対して、ある音楽プロデューサーは、次のようなコメントをしている。
〈「これまでにも“ポスト宇多田”を狙った女性シンガーは何人かいましたが、歌い方にしろ売り方にしろ、あそこまで露骨にマネたケースはなかった。ある意味すごいです」〉
と。
まぁ、売り方はしゃあないとしても、歌い方はマネていない(ずっと前から歌い方は変わっていない)ことは、『倉木麻衣さんへの掲示板』のシルバーさんが教えてくれている。CDを聞いて「マネ」かどうかもわからない、その音楽プロデューサーって? もしかして、CDを聞かずに、噂話を聞いただけで言っているのだろうか。
まぁ、その音楽プロデューサーのコメントを聞いても、この『週刊ポスト』の記事はビクともせず、
〈しかし、爆発的に売れるアーティストが出現した場合、2匹目のドジョウを狙うのは、現在の音楽ビジネスでは当たり前のこと。実際に大ヒットしているわけだし、そう目クジラをたてるほどのことでもないかもしれない。〉
と、めちゃくちゃ、倉木さんを温かい目で見てくれている。
そりゃそうやな、と思った。
最近発売されて社会現象になった『プレステ2』も、言えば『ファミコン』の何十匹目かのドジョウだもんね。
そして、こうして、ホームページをアップロードしている僕らは、何億万匹目のドジョウだ。
その後、音楽評論家の麻生香太郎さんのコメントも載せている。
〈「宇多田の曲調やアレンジは全体的に都会的な雰囲気、倉木の方はより普遍的で、多くの人に受け入れられやすい。宇多田がアメリカ留学して日本から離れたら、むしろ倉木の方が伸びると思いますよ」〉
「都会的」とか「普遍的」とかいう分け方や、宇多田さんが〈アメリカ留学して〉とかいうのは余計なお世話。〈倉木の方が伸びる〉というのは、ただ単に「売上」のことを言っているだけだろう。けど、僕らが「音楽評論家」の人に言ってもらいたいのは、そんなことじゃない。そんなこと、近所の井戸端でも聞ける話ではないか。僕らが聞きたいのは、この記事の最後の言葉だ。
〈果たして“本家”の牙城にどこまで迫れるのか。2人のマッチレースは始まったばかりだ。〉
宇多田さんや倉木さんが、僕らをどこまで引きつけてくれるのか。
音楽評論家の麻生さんが作ることのできない世界を、僕らがまだ見たことのない、聴いたことのない世界をいつまで感じさせてくれるのか。
それが〈マッチレース〉という言葉で表現されても、二人を応援していきたいと思う。
(田熊孝浩 2000年3月25日(土)記)
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