OHHO日記

1999/11/21〜2001/10/13レイアウト更新〜 田熊孝浩

ポン!歌謡曲の雑誌「OHHO」オッホ・ネット版日記 【リンク・フリー】

NEW!
2006年5月8日(月)
ゴールデンウィークが過ぎて。


 そろそろ、ここを残したまま、ブログの方へ。

 『OHHO日記 in ライブドア』
 
http://blog.livedoor.jp/ohho_nikki/

 確かにうぃんさん、へびさんは悪くないですねえ。
 約束を守っただけで、チョッキン、チョッキンされてしまったのでした。
 「へび」ということで、ぼくは頭から「悪者扱い」をしていました。
 へびさん、ごめんなさい。

   ●

 という、うぃんさんへの返事は、

 「蟹満寺に到着」
 
http://blog.livedoor.jp/ohho_nikki/archives/50630083.html#comments

のところです。

   ●

 携帯で写真を撮ること憶えると、何でもかんでも写してしまうものですね。
 それにしても、先月のパケット通信料が1万5,409円。
 それに対して通話料が640円。
 その他を含めた合計請求額が7,440円。

 ほんまに、「ダブル定額ライト」のパケット定額にしていなかったら、えらいことになっていた。
 でも、もっとパケットの定額料金を下げないと、ソフトバンクさんが描いている未来は来ないのだろうなあ。
 ボーダフォンさんを買い取ったソフトバンクさんは、通話代よりパケット定額代をガクンと値下げして、もっと簡単にインターネットにつながるようにしていくのだろうなあ。

 

▼前の日記へ ▲次の日記へ ▲トップヘ


2006年4月8日(土)
山城総合運動公園まで駆け上がっていく。


 携帯電話を買った。
 ついに、だなあ。

 まさかぼくが携帯電話を持つようになるとは。
 が、「これからはケータイの時代だ」とハタと思ったのよね。
 ケータイのあるサイトを作りたいと思ったのよ。

 でも、実際ぼくはケータイを持ってない。
 どんなことがケータイでできるのか、全然わからない。
 そんなことで、ケータイのサイトを作るって、どいうこと?

 だったので、ようやく、ついに、負けました。

 買った携帯電話はauのneon(ネオン)というもの。
 3色あって、そのうちの白色。
 外が白色なのに、キーのところが黒色。
 しかもそのキーが大きいの南野って(いやはや)。
 ドコモのを買って、iモードでiアプリの実験をするのだ、と思っていたのに、ころっとauに変更。

 いやいや、それにしても、

どーして、みんな、そんなに早く打てるのだー。

 電車の中で、メールを打っている女子高生は「なんだかなあ」と思っていたが、最近は「神」に見えてしまう。
 どこに何のキーが何番目にあるのか、どうのようにして憶えたん?

   ●

 『チェッカーお試し掲示板』の彩の国☆カヲルさんの提案で、掲示板を一つアップ。

 「アースデー・コンサート〜ひとつしかない地球〜」
 お誘い、レポート&感想専用掲示板
 
http://ohho.pro.tok2.com/cgi-bin/c-board/c-board.cgi?cmd=;id=earth2006

 もう4月だったのね。

   ●

 さて、明日は久しぶりに10キロマラソン。
 京都府宇治市にある「山城総合運動公園」まで駆け上がった(その前には駆け下りていたのだけれど)、どしゃぶりの雨の中の10キロマラソンを走ったことは、また来年あたりに書くとするか。
 あの日は、あまりのどしゃぶりの雨。おかげで近くに倉木麻衣さんが通っていた立命館宇治高校があるというのに、そのことを感じることさえできなった。
 ただ一つだけ事実を書いておこう。

 私は、何人もの、立命館宇治高校の女子高生に抜かれました。

   ●

 明日は雨が降りませんよーに。

   ●

 そうだ。もう一つ。

 この前(1週間くらい前かな?)、テレビでB'zさんの新曲らしきCMを見た。
 今、ヤフーさんで調べると『ゆるぎないものひとつ』の分かな?
 そのテレビCMで一瞬だけだけど、こっちを向いている犬に、髪の長い人がキスをする場面が出てくる。

 あれって、もしかして、倉木さんとキャスパーわんちゃん?

 倉木さん、違う?
 

▼前の日記へ ▲次の日記へ ▲トップヘ


2006年2月14日(水)
ばれんたいんでいず・きぃっす。


 久しぶりの日記になる。

 紅白を見て、年を越して、先々週にはマラソンもハーフを歩きながらも完歩して(2時間40分近くも走り・歩き・走り・歩き続けた)、2006年も始まっていた。

   ●

 一番の大親友だった池やんがなくなった。
 中学3年から、高校、大学と同じで、有限会社オッホまで一緒に作った間柄だった。

 日曜の午後4時になくなったことを、昨日(月曜日)聞いた。
 発信元は、池やんの携帯とのことだった。
 ぼくはまだ携帯を持っていないので、公衆電話からテレホンカードで、池やんの携帯電話をかけた。10回以上鳴らしても誰も出なかった。もう一回かけ直した。
 そして、その話を直接聞いた。

   ●

 なくなる3日ほど前まで、ご飯を食べていたという。
 お腹に水がたまってきたので、緊急的に入院をしたのだけれど、今週退院する予定だった。
 その日も、話も普通にしてて、横になって眠った。
 しかし、その後意識は戻らず、3日後の12日になくなったという。

 お通夜とお葬式は身内の人だけで、ということが、池やんの希望だったらしい。
 「友達に迷惑をかけたくない」と言っていたらしい。
 しかし「一目顔だけでも見たい」と無理を言って、葬儀会場の場所を聞いた。

 最期まで痛い思いを口に出さず、我慢し続けていたらしい。
 話をして、横になったまま、そのまま眠ったままなくなったので、お通夜が終わったあと、見せてもらった顔はおだやかだった。
 少しやせていたかな。
 池やんもおっさんになったな、そんなことしか思わなかった。

 池やんの顔を見せてもらう前、池やんの家族の人たちがいた。
 お辞儀をして挨拶をすると、「たくまくんやろ、たくまくんやろ」と何度も言われた。
 もう何年ぶりか。
 何回も池やんの実家にもお邪魔したっけ。

   ●

 今日はお葬式の日だった。
 そして、ばれんたいんでいず・きっす、の日でもあった。

 棺の中には、今日の日のチョコレートがいくつも入れられた。
 式が終わったあと、親族のみなさんに続いて、花を棺の中に添えに行った。
 池やんの顔を、昨日のお通夜に続いて見た。
 今までいくつものお葬式に出席させていただいたけど、それは初めて見た顔だった。
 池やんの右眼に水滴の固まりがあった。

   ●

 ぼく自身、どんなことを思うのか想像してなかったけど、手を合わせ、頭の中で繰り返していたことは、一つだけだった。

 「池やん、ありがとう」。

 その言葉しか浮かんでこなかった。

   ●

 いろいろご助言をいただいたみなさん、ご心配をしてくださったみなさん、どうもありがとうございました。
 池やんは、おだやかに、なんか、「ありがとう」とぼくらが逆に言われているような顔で、つらいことも、痛いこともないような感じでいったようでした。

   ●

 さて、「OHHO」をどうしようか。
 池やんがいてこその「OHHO」だったんよ。

   ●

 それにしても、今はまだピンとこない。
 覚悟は去年、池やんから体の話を聞いた時から、心の準備をしていたからかもしれないけれど、今は降りかかってくるものはない。

 けど、じんわりくる予感はある。
 今まで、毎日なんてことは全然なかったけれど、ところどころで「池やんは頑張っているんだ」と思うことがあった。
 昨日、お通夜に向かうタクシーの中でも、「池やんは次の治療何かいいのがあるかな」と思った。

   ●

 将来の話になるが、池やんともう一回真剣に「OHHO」をしようと思っていた。
 それが夢で、目標だったな。
 そして、池やんがじじいになって、もちろんぼくもじじいになって、そんな時に、「俊徳道子は面白かったな」と高校時代に近鉄電車の中で爆笑しあった話題で、もう一度アハハと笑う時が来ると思ってた。
 それが残念かな。
 そして、そういうことは、これからじわじわ襲ってくるのだと思う。

   ●

 池やんが、文句をいったり、怒ったりしたのは、今まで1回しかないんじゃないか。
 今福鶴見の池やんとアオチャンの下宿近くの喫茶店で、怒鳴りあった1回だけだったかもしれない。

 池やんは、ぼくがいろいろ振り回すことにじっと我慢してくれていた。
 そのことがわかってから、なるべく押しつけたり、強引に話を進めたりすることはやめようと思ってた。だけど、池やんはどうだったのかな?
 それがよかったのか、悪かったのか。
 「友達に迷惑をかけて悪い」と、池やんが今日の日のお葬式のことも考えていることに気づいていれば、もっと強引にいろんなことを進めればよかったのかな?

 あはは、そんなことないわな。

   ●

 ずっと前に、この日記で「大親友」のことを書いたことがあった。
 突然、池やんから、何の前触れもなく、メールをもらったことがあった。
 あのメールは、あの「大親友」の日記を池やんが読んでくれたから? それともたまたま?
 メールソフトの当時のアウトルックがうまく立ち上がらなくなったので、今じゃその時間軸がはっきりわからない。
 聞くしかないか。

   ●

 まあ、そんな話もできるから、「あの世」と呼ばれているところもなかなかいいものじゃないかと思う。
 池やんの他にもいろいろお世話になった人がいっぱいいるもんね。
 そうだ、池やん、エンドーさんによろしく。
 何日先、何年先、何十年先になるかは全くわからないけど、池やん、また会おう。
 そして、昔話から始めようか。
 信貴山の山の中へ、池やんがギターをかついで、二人で行ったこととかさ(恥ずかし〜)。

   ●

 「親友」とか「大親友」とか、面と向かって、その相手に言うもんじゃないね。
 池やんにも、一回も言ったことなかったもんな。

 

▼前の日記へ ▲次の日記へ ▲トップヘ


2005年11月16日(水)
さらにアンケートを追加。


 倉木麻衣さんの公式ファンクラブサイトの「Mai-k.net」さんで新曲のそれぞれのアンケートをとっているという話をどこかで読んだので、ではその3曲のうち、どれが一番お気に入り?というアンケートをアップ。

 『「Growing of my heart」の3曲のどの曲が好き?
 
http://pro.tok2.com/〜ohho/cgi-bin/ank2/tvote.cgi?event=ankmai113

 ぼくはどれも甲乙つけがたいのでありますが。

   ●

 あー、それにしても、今度の日曜日は再度10キロマラソンに挑戦シリーズ。
 その後は13キロ、そして来年のハーフマラソンにも申し込んでしまったではないか。

 えらいこっちゃ、えらいこっちゃ。

 毎日走ればいいものを、休みの日しか家の周りを走ってないのに〜。
 会社でパソコンのデータをコピーしている時間とか、空き時間を見つけて屈伸運動はしているが、それだけではこのお腹はへっこまない〜。

 今日は寝る前に腹筋運動と背筋運動と腕立て伏せをします。
 回数はそれぞれ10回ずつじゃ少ない?

▼前の日記へ ▲次の日記へ ▲トップヘ


2005年11月15日(火)
『Growing of my heart』ジャケット案。


 11月10日(木)の日記で、倉木麻衣さんの『Growing of my heart』のジャケットのことを無茶苦茶書いた。

 「そういうおめえはどうなんだ。具体的にどんなジャケットがええと言うんだ」

 そういう声がぼくの体の中から沸いてきても不思議はない。
 しかしぼくはまだ「人体の不思議展」には行ったことがない。
 確かあの展覧会は、大阪・梅田の新梅田シティでしていた。
 何年前だろうか。資格取得に燃えていた時期だったように思う。
 あの「人体の不思議展」をしていた時、ぼくは新梅田シティの下にいた。
 しかしそこから足を運んだ場所は、道をはさんでコチョコチョ行ったところ。
 あー、名前を忘れてしまった。
 まあ、場所の名前なんてどうでもいい。
 ぼくは道をはさんでコチョコチョ行ったところで、Mac検定なるものを受けた。
 運よく無事3級をとれた気がする。
 しかし、DTPエキスパート試験には落ちた(別の日に行われたものだが)。
 それもだ、DTPエキスパート試験に落ちた理由がいかしてる。
 ぼくは印刷会社に勤めているのだが、DTPエキスパート試験の「印刷部門」の点数が足りなくて落ちてしまったのだ。

 ああ。

 人生って、そういうものなのね。

   ●

 なんの話をしていたのだっけ?

 そうだ。ジャケットの話だった。
 あれほど偉そうな口をたたいていたのに、

 「だったらどんなジャケットがいいのか、教えてよ!」

なんてことを倉木さんから直々に言われたわけではない。
 いや、言ってもらいたいものだ。
 遠慮せずに、倉木さんは「だったら、どうなのよ!」「だから、なんなのよ!」と、身近なスタッフの人にも突っ込んでもらいたいと思う(そういう突っ込みはしていないと勝手に想像して話を続けるが)。
 人の話を「スポンジ」のように吸収し続けるのもいいが、それだけでは「スポンジ」はすぐにいっぱいになってしまう。
 どこかでギューと絞らないと、もっと吸収することは無理なのである。

   ●

 また、何の話をしているか、わからなくなってきた。

 そういや、倉木さんはライブでマイクを持って話をする。
 歌の合間の「MC」というものだ。
 そこで倉木さんがした話を読んだりすると、よくもまあ、倉木さんは話ができているものだと感心する。
 なぜなら、ぼくがそんな舞台に立って話をすると、話を始めたのはいいが、途中で「何を話していたっけ?」と訳がわからなくなってしまう。

 そういや、大学生の時のこと。
 春4月、新入生にクラブ紹介をすることがあった。
 クラブの代表者が入れ替わり立ち替わり舞台に上がり、入ってきたばかりの新入生に向かって、「是非、我がクラブに入部を」と訴えた。
 ぼくの担当は文学部で、ぼくも一人前に舞台の上に立ってマイクを握った。
 しかし、マイクを握った途端、何を話すのか忘れてしまった。
 何クラブかさえも忘れてしまう勢いがあった。
 そうなるともう仕方がないので、「三重県から来た人いますか〜?」と、クラブ紹介とは全く関係ない話をして終わった。

 また、話がそれた。
 そろそろ本題に入ろう。

   ●

 で、『Growing of my heart』のジャケット案を作ってみた。
 ちなみにパソコンの画像ソフトであるフォトショップの使い方を一部しか知らないので、行き当たりばったりにできあがった作品だったりする。
 が、渾身の力を注いだ。
 2時間みっちり考えた。
 まあ、見てもらおう。
 倉木さん、どうぞ。




















 『Growing of my heart』ジャケット案





















   ●

 この案に対して、何のイメージからとったものだとか、元の画像はなんだったのかなどと、とうとうと述べたいことはある。
 しかし、ここはグッとノドの奥にとどめて、これだけはもう一度、倉木さんとスタッフのみなさんに伝えたい。

 もう倉木さんの顔写真が載っているジャケットは要らない。
 そろそろ、顔写真なしで勝負しておくれ〜。

 

▼前の日記へ ▲次の日記へ ▲トップヘ


2005年11月14日(月)
ひさ〜しぶりにアンケート追加。


 なんと今年の1月以来とは。

 アンケートをひさ〜しぶりに追加。

 『この本を是非、倉木さんが歌にしてほしい。』?
 
http://pro.tok2.com/〜ohho/cgi-bin/ank2/tvote.cgi?event=ankmai112

 さて、史上初の、怪盗ゼロ、いやいや回答ゼロとなるかああ〜〜。

   ●

 そうそう、『ルパン対ホームズ』は意外と退屈しない。
 それどころか、シャーロック・ホームズさんとウィルソンさんのやりとりに、ニマニマ笑ってしまうほど。
 と言っても、ルパンさんのトリックが具体的にイメージできないところが多々あるのだけど、ま、いいか。
 それが「本」というものではないか。
読む人が勝手に解釈して、勝手に映像にしていいではないか。

   ●

 あと、この『ルパン対ホームズ』を読んで思ったことは、話の進め方のうまさ。
 ある場面で、「結末はこうなるだろう」という未来のイメージをぼんやりと(ぼくに)描かせる。
 そのあと、話はその「結末」に向かっていろんなハードルを越えていく。
 だけど、最後の結末に辿り着く直前で、今まで想像もしてなかった展開になる。
 最初に描いた未来のイメージがぼんやりとしていればしているほど、そして、その後の話がその未来のイメージに結びついていれば結びついているほど、結末のどんでん返しが面白いものになる。

 どう?倉木さん。そんな展開の歌詩はできない?
 というか、倉木さんはよくポジティブな主張をストレートに歌詩に込めたりする。
 それって、倉木さんの言いたいことが、聴く人に伝わっていないのでは?という不安からきているものではないか。
 なんてこともたまに思うことがあるので、ここは一つ余裕を持って、歌詩で遊んでみては?
 その方が案外伝わったりするかも?

▼前の日記へ ▲次の日記へ ▲トップヘ


2005年11月10日(木)
『Growing of my heart』初聴き感想。


 倉木麻衣さんのシングルの新曲『Growing of my heart』が発売になった。
 フライング発売日には買うことができなかったが(なぜか)、昨日は運よく会社帰りにTSUTAYA天六店さんで手に入れることができた。
 お店の棚には3枚。ぼくが1枚買ったので、今は2枚かな?(増えてたりする時もたまにある)。

 で、この前のアルバム『FUSE OF LOVE』と同じように、初聴きリアルタイム感想をしちゃいましょうよ、という今日の日記はそういう企画で進めることにする。

 なんといっても、ぼくはまだテレビアニメの『名探偵コナン』を見ていない。
 つまり、その番組の主題歌になっている倉木さんの『Growing of my heart』はまだそこで聴けていない。
 しかも、FM802さんで10月24日月曜日にDJの浅井博章さんがかけてくれたのだけど、ラジオの音が遠く、終わりかけに「これ倉木さんの声ちゃうん?」とわかっただけ(「なんで教えてくれない」とラジオの近くに座っている同僚をなじったことは言うまでもない)。
 だからほとんど、というより、かいもく聴いていない状態にある。
 あ、もう1回、FM802の山添まりさんが昨日(か一昨日)新曲紹介をしていた時に、数秒流してくれたのも耳にしているが、それも一瞬だけ。「あ、倉木さんの声」と思っただけで、すぐ次の曲だった。
 ちなみに、『CDTV』はチャンネルをつけた時に、今月の新曲紹介のコーナーはちょうど終わったところだった(そこでテレビを切ったため、流れているだろうCMも見ていない)。

 しかし、インターネットの掲示板などで読んだ書き込みの中で、新曲とシングル全体に対してのヒントみたいなものを知っていることはここで述べておこう。

(1)曲のスピードはかなり早いらしい。
(2)愛内里菜さんが歌うと似合うらしい。
(3)カップリング曲がいいらしい。
(4)3曲入りらしい。
(5)『Growing of my heart』はミンミさんの曲のように聞こえた(これはFM802で聴いた時のぼくの感想)

 そんなところだろうか。
 ほんとに今から書く新曲の感想は、「生まれたてなのワタシ」という感じである。
 いや、「生まれた状態に最初に聴く音楽」に対して、ぼくの耳はどう反応するか、という人体実験であったりするのではないか。
 あの、『月刊明星』を1冊丸ごと広告のISBNコードまで漏らさずに読むという挑戦をした時のように、何かわくわく、どきどきさせてよ、ふ〜ふ〜るるる〜、である。

 なんのこっちゃ、自分でもわからなくなってきた。
 では始めよう。

 まずは、CDの外装からである。

   ●

 CDを包んでいる透明のビニールをパリパリ開ける。
 そうすると、「ややや、今回は紙ジャケットではないか」と一瞬、驚きと喜びがこみ上げてきた。
 透明のビニールの中に入っているジャケットは表から裏まで、全体が紙に覆われているのである。
 しかし、その喜びはほんとに一瞬であった。
 紙の向こうに、キラキラ光るいつものプラスチックを見たからである。
 倉木さん、今回のジャケットはプラスチックケースを包み込む、両面ダブルジャケット仕様なのね。
 そういえば、そのようなことを倉木さんの公式ホームページかどこかの新曲紹介のところに書いてあったっけ。今ごろ思い出して、なんだか喜んだことが損した気分。
 まあ、いい、次にいこう。

 その紙のジャケットとプラスチックケースを離す。

 いや、その前に新曲のジャケットをどう思うか書いておかないといけない。

 う〜ん、倉木さんの顔がアップで出ていることで、ぼくの場合、今回からシビアにいく。
 0点(れーてん)。
 衣裳をいくら大人っぽいものにしても、化粧でどんなイメージにしても、倉木さんの顔を出して、それを「売り」にしている時点で、このジャケットはぼくにとって魅力がない。
 「倉木麻衣」の歌手名とタイトル名、そして珍しく(?)「c/w」までジャケットに持ってきている。
 これっていつもでしたっけ?
 「c/w」って印刷してたかな?
 でも、このc/wのタイトル名の書き方がわかりにくい。

 「c/w Seven Night・winter*Swear」

 と1行に書いているのだが、これで2曲とは誰も思わないのではないか。
 もし思う人がいても、「Seven Night・winter」と「Swear」の2曲と勘違いする人もいるだろう。
 なぜ2行にしなかったのだろうか?
 もし2行にするのが「デザイン上」いやならば、2曲を分けるものを「・」の記号にしてはいけない。
 c/wの2つ目が「winter*Swear」と「*」が入っているのだから、その記号をタイトルの一つとわからせるためには、「Seven Night」と「winter*Swear」の間に記号を入れるのではなく、2マスぐらいスペースをとればよかったのではないか。
 そこだけとっても、プロがデザインしたジャケットとは思えない。

 書体の選び方も、もう少し工夫ができると思う。
 この書体を選んだ人は、「g」や「f」の形がヘンだとは思わなかったのだろうか?

 全体のバランスも、うなるほどのものが感じられない。
 何か、「デザインし始めて2年目です、今年から担当させてもらえることになりました」というくらいの人が作ったような気がするが、ぼくの気のせいだろうか?

   ●

 裏面はコナンくんと蘭ちゃん(でしたっけ?)なのね。

   ●

 プラスチックのケースを開ける。
 CD盤が裏返っているのはいつものこと。
 そのCD盤の左にジャケットの裏に倉木さんの写真が出てくる。
 なにやら、倉木さんの目つきが悪そう。
 どうして、右目に中途半端に髪の毛がかかっているこの写真を選んだのだろうか?
 もしかして、中に入っている3曲の何か伏線だろうか?

 あ、この写真の衣裳、ジャケットの表面と同じなのね。
 う〜ん、これはパッと見では気づかなかった。

   ●

 ジャケットを開き、中の歌詩が書いているところを見る。
 キラキラ光る銀色?それと文字は藍色?
 あ、ジャケットの表紙のタイトルの色とかけている?
 と思って見返すと、どうもそうでもないらしい。
 というより、ジャケットのタイトルの色は黄色。
 なのだけど、う〜ん、う〜ん、なんだこりゃ。
 タイトルの「my heart」のところだけ藍色みたいな色で影をつけている。

 あっちゃ〜。
 こりゃ安っぽいよ、倉木さん。

 どうりで、タイトルのところが薄く思ったわけだ。
 「my heart」のところはバックの写真の色が薄めだから、黄色のインクだと見えなくなってしまう。
 それで苦肉の策として藍色の影をつけたって感じだ。

 影をつけるなら全部につける。
 影をつけないなら、文字が見えなくなってもつけない。
 それくらいの覚悟はプロのデザイナーさんなら持っている。

 しかし、ここで「my heart」のところだけ影をつけたってことは、この文字のデザインに対して、デザイナーさん自身の主義や主張はないものと、ぼくは思ってしまう。
 「誰がなんと言おうと、この文字の色、この大きさ、これ以外考えられない」、そんな強い意志が感じられないジャケットデザインだと、さらに思いました。

 あ、中のプラスチックに入っているジャケットには「c/w」はないのね。
 ということは、大外のジャケットはあわてて作っての?

   ●

 さあ、肝心の曲を聴く前に、うだうだ思い過ぎだ。
 そろそろ聴こう。
 ノンストップ、15分間。
 もう帰らないといけないので、ほんとにノンストップ、リアルタイム感想に移るとしよう。

   ●

 タイトルだけ、先に書いておく。
 1曲目『Growing of my heart』
 2曲目『Seven Night』
 3曲目『winter*Swear』
 ではいこう。

   ●

 おおー、いいじゃん。

 と思った。
 けど、そこまで。
 なんじゃこりゃ、である。

 「おおー、いいじゃん」と思ったのに、そのことを書こうと思ったら、パソコンが固まっているやないの。
 なんたること。
 もう一度聴き直しである。
 ではいきます。
 カチャ(ってカセットテープじゃないけれど)。

   ●

 ええやん、ええやん。
 始まり、すごくいいやん。
 お、最初のサビが終わったあとも、すんなりきてる。いい、いい。

 おー、自然な感じでサビにきた。いい。

 バックの「オイエー」とかいいね。
 なんか、音が厚く聞こえるように作ってる?

 いい、いい。

 サビで首も上下する。
 いい。

 おー、転調した。
 おおおおおおおおおーーーーーーー。
 いいぞー。

 ベイベー、が気になるが、いいー。

 こりゃ、久しぶりにヒットやなあ。
 やった、やった、という感じ。
 ニコニコがふつふつと出てる。

 終わった。

 よかった。

   ●

 2曲目。

 始まり方いいやん。
 そう始まるか。

 うん?
 途中で明るい曲調に変わるのは、これはぼくの趣味の問題だけど、もう一つ。

 あ、2番の始まり方、いい。

 「あれからどうしてる?」

 「今日よりも明日もっと輝くよ」
 というストレート過ぎるメッセージはもっと違う言葉で言ってほしいが、遠くで離れている同士、あの時、どうしているかと思っていた人が、こう思っていたのか、ということがわかるみたいで、嬉しい内容の歌詩みたいでした。

 終わり方は、うううむ、だけど。

   ●

 3曲目。
 あ、これがサイバーサウンドさん?
 「君」と言ってくれるのが嬉しいねえ。

 このシングルは聴き返す、聴き返しますわ、倉木さん。

 あらら、「キミにキスをしたの?」。

 あー、またストレートに「愛してる」って。
 そこのストレートさをもう少し違う言葉で言ってくれた方が、もっと伝わるのに。

 曲調が変わってから、その後からがなんだか楽しくなってきた。
 いいやん、いいやん。

 お、同じメロディの繰り返し、いいぞ、いいぞ。
 あ、倉木さんの別の声がかぶってきた。

 あ、あ、もっと聴かせて、もっと聴かせて〜。

   ●

 終わっちゃった。
 早かった。
 早かった。

 もう1回でも、2回でも、今日から会社の行き帰りに聴かせてもらいます。

 おおきに、倉木さん、そしてスタッフのみなさん。

 
ジャケットで不満だった気分がどっかにいった〜。 

 そうそう、CD盤面のデザインは、これよこれ、というほどではないけど、戻ってきてる、と思いました。
 

▼前の日記へ ▲次の日記へ ▲トップヘ


2005年11月9日(水)
気持ちが変わってしまった。


 いったいどういうことだ。
 あの倉木麻衣さんの新曲『Growing of my heart』のことである。

 まあ、こういう日がくることはわかっていた。
 いや、こういう日がきてほしくないとは少しは思っていた。
 しかしまさかほんとにこんな日がくるとは、本当のところ思ってもみなかった。
 
 それにしても、ここまで変わるか、である。
 今の今まで安心しきっていた、信じ切っていたぼくがバカを見たということだろう。

 ふ〜。

 なんともう。

   ●

 あきらめの極地。
 いや、あきらめねばならない。
 とうとう、くるべき時がきたのだ。
 くるくると思っていて、たまたま昨日やってきただけなのだ。
 冷静になれ。
 落ち着け。

 しかし衝撃はかなりのものだった。
 あのファーストアルバムの時でさえ、大いに想像しながらも、ぼくにとっては全く関係ない事柄だったのだから。

 仕方がない。
 覚悟を決めた。
 正直に言おう。

 倉木さん、






































 
新曲はTSUTAYA天六店さんで売り切れてた〜

 
予約をしてなかったぼくは、まだ買えてない〜。

   ●

 いったい誰だ。
 いつも5枚も6枚も残っていたではないか。
 それが何を今さらここにきて。
 いったい誰が、どこのどいつがオランダが、TSUTAYA天六店さんで倉木さんの新曲を買ったのだ。
 倉木さんの新曲用のパネルは、他の歌手の人と同じように、ちゃんと置いてあった。
 なのに、なぜそのパネルの横の棚は、倉木さんのだけカラッポなのだ。
 いったいどうしたのだ。
 どうしたってことことなのだ。
 みんなの心が変わっちゃって、倉木さんの新曲を心待ちするようになったのか。

 う〜ん、うれしい。

   ●

 ま、それんしても、やっぱり予約はすべきやね。
 昨日の教訓その1である。

 仕方がないので、今日の帰りこそ、ゲットゲットしてきま〜す。
 

▼前の日記へ ▲次の日記へ ▲トップヘ


2005年11月1日(火)
なかなかない。


 川上健一さんの『翼はいつまでも』を読んでから、あの感動を再びと会社への行き帰りの電車の中で読書をしている。

 川上健一さん著『雨鱒の川』集英社文庫
 川上健一さん著『ららのいた夏』集英社文庫
 川上健一さん著『跳べ、ジョー!B・Bの魂が見てるぞ』集英社文庫
 湯本香樹実さん著『夏の庭』新潮文庫
 陰山英男さん著『「陰山学級」学力向上物語』PHP研究所

 そして、昨日から読み始めたのが、

 モーリス・ルブランさん著『ルパン対ホームズ』新潮文庫

 ちょっとだけ言わせてもらおう。
 なかなかない。

 『翼はいつまでも』を超える感動をもたらせてくれる本は、
なかなかない

   ●

 あれほど感動した『翼はいつまでも』を書いた川上健一さんでもそう。
 同じ人が書いているのに、別の本の中に同じ感動が待っているかと思うとなかなか。
 おー、盛り上がってきた、と思っても、なかなかある一線を越えない。
 たまには、「無理に感動しようとしてるんとちゃう?」というささやき声さえ聞こえてくる。
 感動をする前に、冷静になってしまうのよ。

 そんなことを考えていたら、こんなサイトにたどりついた。

 『21世紀の姓名判断命名navi』さん
 
http://www.naming.jp/

 もしかしたら、以前誰かに教えていただいたことがあるかもしれない。
 その上、今日のここまでの日記で書いた「感動」とは直接関係ないことかもしれない。

 しかし。
 わたしがどうしてそのページにたどりついたのか。
 それは、「倉木麻衣」さんと、ヤフーさんで検索をかけていたからである(←少し感動?)。

 まあ、なんてことはない。
 試してみてください、倉木さん。

 おっと、倉木さんが占う前に、余計なお世話と知りながら、ぼくが勝手に「倉木麻衣」さんを占ってしまいましょう。
 そしたら、こんなふうに出てくるじゃあーりませんか。

 〈倉木 麻衣 の姓名判断
麻衣
10 4 11 6
総運31△ 頭良く先見の明あり。意志も強く人の上に立つ存在。孤独運。晩婚傾向。
人運15◎ 早くから社会で成功。華やかで魅力的。抜群の活動力を持つ
外運16◎ 他人に良くすることが幸運を呼びます。臨機応変な対応が得意。
伏運32◎ よい環境で成長できます。
地運17○ 積極、魅力、頑固運。事故注意。
天運14△ 負の影響を受け継ぎやすい家柄。転々と所在を移す。
陰陽


 うおー、なんだか、いいお名前ではありませんか。
 〈頭良く先見の明あり〉〈早くから社会で成功〉〈華やかで魅力的〉…。

 どう?
 倉木さん、感動した?
 しかもですよ。

 〈他人に良くすることが幸運を呼びます

 名は体を表すというか、なんというか。
 ただ、『チェッカーお試し掲示板』のポン太さん同様(35309番)、〈事故注意〉を。

 まあ、ぼくの名前の結果は一人で感心しておこう(〈悲観的家柄。不運に見舞われやすい。〉なのね)。

   ●

 そんな占いをしながらも、最近の休日は、登山かマラソン大会に参加していたりする。
 登山といっても、『チェッカーお試し掲示板』のエッジさん(35326番)には足元にも及ばないよちよち登山。
 だって、今まで登った山は、奈良の二上山(にじょうざん)、滋賀の伊吹山(三合目まではロープウエー)、そしてまた奈良へ戻って若草山(徒歩10分)しかない。
 この前の前の休みは、ススキで有名な奈良の曽爾高原(そにこうげん)へ行くが、高原の上に登っただけで、風に吹き飛ばされそうなる。

 「山登りは、登ることより引き返すことほど勇気がいる」

 そんな格言をわたし思い出す。
 高原に上に立っただけで、引き返したことは言うまでもない。

   ●

 そうそう。マラソン大会への出場も続いているのである。
 3キロから始まり、5キロでへとへとになり、この前の前は滋賀にある小さな湖を一周する7キロに挑戦し、この前の日曜なんか、小さな山を3つも回る10キロレースにも参加したのである。
 いやあれは、参加したというか、走ったというか、そんなおこがましいことは言えない。
 なぜなら、ゴール手前で、道の横を歩いて応援している人に抜かされたくらいだから。

   ●

 しかし、そんなぼくでも、目標とするところがある。
 それは、2時間続けて走ること。
 この前の10キロはだいたい約1時間。だからハーフマラソン(21キロくらい?)くらいかな。
 とにかく2時間。
 そういや、2時間って、だいたい倉木さんのライブ時間と同じじゃないの?

 マラソンの10キロを走った約1時間の中でも、3キロくらいで横っ腹が痛くなる。
 6キロ過ぎたところで渡してくれた水を走りながら飲もうとすると、どばーっと顔にぶっかかる。
 仕方がないので止まって飲むと、そこから足が前へ進まない。
 7キロ過ぎるとゼーゼーしてた息は少し楽になり、さらに足が進まない。
 8キロ過ぎると、おちちが上着にこすれて痛くなる。
 9キロ過ぎると、ラストスパートをかける女の子にいっぱい抜かれる。

 たった10キロ約1時間の中にそんないっぱいいっぱいなことがあるのに、2時間もライブができるって、どんなに体力をつけてきたのだろうか、倉木さんは。

 しかし、とりあえず今年は、まずは10キロを走って、ゴールしたあと膝がカックンカックンしないようにしなければ。
 そして、来年こそは倉木さんを抜かなければ。

   ●

 そんなぼくが山へ登ったり、滋賀を走ったりしている間に、『チェッカーお試し掲示板』のyoko. さん(35293番)にたいへんなことが起こっていたとは。

 yoko. さん、ぼくからも、お母さんのご冥福をお祈り申し上げます。
 そして、yoko. さんのいつもの元気な書き込みがまた読めるように、待ってますから。
 

▼前の日記へ ▲次の日記へ ▲トップヘ


2005年10月25日(火)-2
あちゃー。


 JR大阪城ホール駅の階段を上がった。
 ちょうど午後7時。
 「間に合うかな」という足取りの母子とすれ違う。
 ん?

 向かってる方向が逆やん〜。

   ●

 やはり、というか、はたまた、というか。
 当日券は売ってなかったのね。

 会社を出て、ダッシュでJR天満駅へ走り、大阪城ホール駅に着いたのは、午後6時40分ごろ。
 やっぱりJRで3駅だと早いなあ、と感心しながら、大阪城ホールへ。

 「もう開場しております。入口のところで手荷物検査を…」
というスピーカーの声が聞こえる。
 おー、久しぶりの大阪城ホールでのライブやん。
 気分は、スーツを着てても高まってくる。
 大阪城ホールの階段を上がった右側に、ガチャガチャが置いてある。
 奈良にもあったな、と思いながら、まずはチケット売場へいかなければならない。

 大阪城ホールのチケット売場は、会場の入口の右側にある。
 が、ん?ん?ん〜〜〜〜?

 電気がついてない。

 この前の倉木麻衣さんのライブの時は確かここで当日券を買ったはずだ。
 近寄って見ると、電気がついてないばかりか、カーテンも閉まってる。
 まさか、ははは。
 こういう時に笑いがでることを、神様は許してくださるだろう。
 仕方がない。聞くしかない。

 開場の整理をしているスタッフらしき人を発見。
 トランシーバーを持っている。
 この人なら、チケット売場がカーテンを閉めている理由を教えてくれるかもしれない。

 「あのー、すみません。今日の当日券ってもうないのですか?」

 どこかで言ったことのあるセリフだ。これで何回目か。

 「あ、私このホールの者なので、スタッフの人に聞いてもらえますか?」

 うーん、スタッフにもいろいろなスタッフの人があるのか。
 仕方がない。
 後ろを振り向くと、すぐに腕章をつけたスーツ姿の人がいた。

 「あのー、今日の当日券は?」

 これまた、チケットの謎を解き明かしてくれる人ではなかった。
 しかし、その人は、近くにいたこれまたトランシーバーを持ったスーツの人を呼んでくれた。

 「あのー、今日の当日券はもう売ってないのですか?」

 3回目の質問だ。
 その人は、「ちょっと待ってください」と応えてくれた。おー、なんとかなるかも?背を向けて、トランシーバーで誰かを呼んでくれている。あ、振り返った。あれ?ありゃ?なに?その、あの、その、そのトランシーバーを持ちながらその指の

 バッテン記号は。

   ●

 もちろん、「申し訳ございません」というありがたい言葉もいただいた。
 だが、ワタシの戦いはこれで連敗を4に伸ばしたのであった。これが日本シリーズなら、シリーズも終了である。

   ●

 ということで、今回もライブ会場には入れず。
 ここ奈良から、倉木さん、スタッフのみなさん、そして会場に入れたみなさんが楽しいライブになっていることを祈ってます。

 あー、それにしても、当日券がなかったということはなんだか嬉しい。
 応援してきてよかった〜、って感じやね。
 

▼前の日記へ ▲次の日記へ ▲トップヘ


2005年10月25日(火)
さて、間に合うかな?


 会社のみなさんのご協力があり、さて、今から大阪城ホールに出発。
 間に合うかな?
 という今の時間は午後6時20分。
 う〜ん、電車に乗ってて7時かあ。

 と思えば、また仕事が入ってきた〜。

 その前に、当日券はあるのかな?
 

▼前の日記へ ▲次の日記へ ▲トップヘ


2005年9月22日(木)
「翼はいつまでも」と「女王の教室」。


 また日記があいてしまった。

 あれから泣いていたのさ。
 川上健一さんが書いた『翼はいつまでも』。
 なんでこんなにいいの?

 本を読んでる途中で「最終章を読まんとこかな」と真剣に思った。
 会社の帰りに読んでいて、近鉄奈良線の花園駅を越えたあたりに不覚にも不覚な姿になってしまうところだった。
 ぼくは十和田湖に行ったことがないのに、十和田湖に行ったことが記憶に残っている。

 読み終わったあと、古本屋さん(ブックオフ)で見つけた川上健一さんの本を全部買った(4冊)。その中にはこの『翼はいつまでも』も入っている。

 う〜ん、ほんとこの本は、どうしても倉木麻衣さんに読んでもらいたい。
 だって、この本のテーマはきっとあれ。倉木さんが歌い続けているあれ。

 この本の内容は、中学生の男の子が見た風景、その時々感じた気持ち。
 でも、登場人物はその人ひとりじゃない。

 倉木さんには、是非この本の中に出てくる女の子の気持ちを歌にしてもらいたいな。

   ●

 読売テレビさんが放送していた『女王の教室』。
 先週が最終回。
 よくぞ最後の最後まで番組の主義主張を貫き通したものだ。
 スポンサーが離れようとも、名前を隠してと要望されようとも、ここまで最初の筋書きを変えず最終回までもってきたのはすごいこと。
 回想シーンが最終回には一つもなかった(のではないか)。
 思い出している時間があれば、「目覚めなさい」ってことだろうか。

 それにしても、卒業式で『仰げば尊し』が歌われなくなったのは、先生を持ち上げることをやめたというより、『仰げば尊し』を歌いたいほどの先生がいなくなったということだったのか。
 番組全体に流れていたこのメッセージに「なるほど〜」。
 でも、そんなことはこれっぽっちも、この先生は自分から口にはしないのよね。

 続編作ってくれたら、今度は最初からみるぞ〜。

   ●

 で、今は、川上健一さんの『雨鱒の川』を読んでます。

 第一部が終わったところ。
 さて、ぼくの気持ちはこれからどうなるかな。
 

▼前の日記へ ▲次の日記へ ▲トップヘ


2005年9月16日(金)
十和田湖って、そんなにいいの?


 「十和田湖ってそんなにいいの?」

 と尋ねて、訪ねてみたくなるくらい。
 川上健一さんの『翼はいつまでも』を240ページまで読んだ感想。

 〈ありがとう。でもそのことじゃないの。嘘をつかないって約束してほしいんだ。わたしも嘘をつかない
   (163ページより)

 〈すごくすんだ真っ青な青空だと、何時間かずっと空をみつづけているとね、成層圏を突き抜けた宇宙の広がりがみえるようになるってスペインの人がいったの。だから太陽の光をさえぎる場所で、ずっと空をみていたんだ。そしたら段々に空が青黒くみえるようになって、あっ、宇宙だ、って思う瞬間が何回もあったんだ
   (170ページより)

 〈ビートルズって本当のことをいうんだね。日本では《抱きしめたい》ってタイトルになっているけど、英語のタイトルは君の手をにぎりたいっていうんだよね。
   (175ページより)

 もう、ぐいぐい読んでしまいます。
 青森県の十和田湖にも行ってみたいと思ってしまうほど。

   ●

 新しい掲示板をヒットカウンターにアップ。

 『倉木麻衣さん、23歳のお誕生日おめでとう!2005』
 
http://hpcgi1.nifty.com/ohho/wakuwaku3_pink2005/apeboard_plus.cgi

 もちろん、『チェッカーお試し掲示板』の彩の国☆カヲルさん(34964番)の提案です。
 彩の国☆カヲルさん、おおきに〜。

 そうだった。
 もう1こ作らないといけなかった。
 でも、いいのを探しているうちに日はくれる。

   ●

 近頃、黒砂糖がお気に入り。
 砂糖なのに、苦味があるのね。
 これって、さとうきびの味?

 砂糖加工会社の息子は、「細木数子さんがテレビで言ってから、てんてこまいの忙しさ」というようなことを、大阪・京橋のうどんやさん「はがくれ」で言ってました。
 三重県・神島日帰り旅行計画の復活はあるのか。
 どうか体調がこのままよくなっていきますよーに。
 (メールの返事がないのが少し気になるが)

   ●

 去年から今年にかけて、出会っては別れ、別れてはまた新しい人に出会っての繰り返し。
 9月22日もまた別れがある日になったのだな。
 

▼前の日記へ ▲次の日記へ ▲トップヘ


2005年9月14日(水)
昨晩から読み始めた本。


 今日も『ミュージック・フリーク・マガジン』を読んでいる間がなかったが、家から会社までの電車の中で読み始めた本がある。
 タイトルはうる覚えで、書いた人の名前で探した本だったりする(この前の日曜日に図書館で借りた)。
 で、昨日の帰りに電車の中で読み始めた時にタイトルを確認すると、そらもお、あんた、なんでんがな。よーできたお話やおまへんか。

 『翼はいつまでも』川上健一さん著・集英社発行

 ♪この羽根に値打ちがあるとは 思えないかもしれないけどぉ〜
   (『Honey, feeling for me』倉木麻衣さん作詩・歌)

 今のところ76ページしか読んでないが、主人公は野球部に入っている中学生の男の子みたい。
 舞台はこれまたできた話であるが、「青森県」だったりする。
 しかも、その話のメインの筋というものは、その中学生が、ある曲を聴いて、自分の気持ちの持ちようを考えていく話だったりする。

 う〜ん、できた話だ。
 我ながら、見事というほかない。

 ぼくがなぜこの本を借りたかというと、作者の川上健一さんの本をずっと前に読んで、えらく興奮した覚えがあったから。
 スポーツ物で、話にスピードがあるのよね。
 それから、ほろり、とさせてくれるのよ。
 76ページまでのところにも、ほろり、ときたところがあったのよ。

 そうそう、ちょっと前に読んだ

 『東京大学応援部物語』最相葉月さん著・集英社発行

 も、ほろり、ときたのよ。
 いや、「ぼろぼろ」っていう方がいいかな。
 応援団っていいな、と思った。
 ほんと、いいな、って思った本でした。

   ●

 それから、自分は何をしてるんだろう、と思った本でした。
 

▼前の日記へ ▲次の日記へ ▲トップヘ


2005年9月13日(火)
まず「ミュージック・フリーク・マガジン」129号を読む。


 さて、と、倉木麻衣さんがライブで頑張っているのだから、そろそろ倉木さんがアルバム『FUSE OF LOVE』についてどう語っているのか、知っていこうと思う。

 と、その前に、倉木さんの言葉を知る前に、大好きな『I sing a song for you』の感想を書いておかなければならない。
 倉木さんが言っていることと、まったく違うとんちんかんなことも、今のうちに書いておこう。

   ●

 『I sing a song for you』は、アルバム『FUSE OF LOVE』の11曲目に入っている。
 MDで時間を計ると、えーと、何分だ、3分52秒くらい。
 おや?
 結構長い。
 聴いている時の印象としては、2分台で終わっているような、そんなあっという間に終わる曲だ。言葉をかえれば、「もっと聴きたい」と思っているうちに終わってしまう。
 しかし、「もっと聴きたい」というのは、この曲が「物足りない」ということではない。
 よくぞ、ここで切り上げた、という意味である。

 途中で何度も転調し、もっとドラマチックな曲に仕上げることもできたと思う(実際、そういうバージョンがあるかもしれないけど)。
 でも、「Pf Arranged and Performed by Aika Ohno」さんは3分52秒にこの曲を収めた。
 倉木さんもこの曲に、このアルバムの中でもっとも行数の短い20行しかない詩を書いた。

   ●

 それはそうと、大野愛果さんの「Pf Arranged」って何でしょうか?
 「Pf」というのはヤフーで検索をかけると、「ピアノフォルテ」という言葉と一緒に出てくるようなのですが、「ピアノのメロディ」という単純な解釈でよいのでしょうか?
 そのへんの正確な意味がわかってないのですが、「Performed」と書いているということは、この曲のピアノを弾いているのは大野さん、という意味だと思って続きを書くことにする。

   ●

 で、えーと、何の話をしようとしていたのだっけ。
 そうそう、3分52秒という(聴くと)短い曲に、この曲は仕上がっているということ。

 つまり、余計なものは一つもない。
 研ぎ澄まされた美学がこの曲にある。

 倉木さんの歌い方がすごい。
 このアルバムの中で、倉木節がもっともぐさっとくる曲ではないか。
 特に、1番の(と機械的に「1番」というのが失礼に思えるほどだけど)

 ♪やさしく微笑ってる 君が見えるようで〜

 の最後の「♪で〜〜〜」の「〜〜〜〜〜〜〜〜」が、これ以上の泣きがあるだろうか、というくらいぐわ〜〜と胸に迫ってくる。最後の「〜」の時、「やめて、やめて」と言ってしまうくらい。
 「で〜」の「え」の音で、ここまで感動させられたのは初めてじゃないかということも思うくらい、この「で〜」はかなりやばい。

   ●

 1番で「鳥」が出てくる。
 倉木さんはここで「自由に空飛ぶ」という表現を使っている。
 ぼくも、ほんの最近まで「鳥」に関しては、「いいなあ、どこでも好きなところへいけて。見える景色もいい眺めなんだろうなあ」と思っていた。
 けど、ふとしたことで、ほんの最近こんなことを思ってしまった。
 「鳥って、翼があって空を飛べるけど、その翼をケガしたら、どうなるのだろ?」

 そんなことを思ったあとに、この曲を聴いたものだから、この

 ♪自由に空飛ぶ鳥のように
  苦しみすべて 解き放たれてゆくまで

 というところでは、「どうかそのまま飛び続けられますように。ケガなどしませんように」と、祈りを込めてしまう。
 苦しみを解き放つためにどうか空高く飛べますように。

   ●

 あと、この曲の1番と2番、じっくり読むと、同じ言葉を繰り返しているところが1カ所ある。
 それはここ。

 ♪何も見えなくても 心に映し出し

 ここのところ、ぼくが倉木さんの声に合わせて頭の中で歌うと、

 ♪何も見えなくても 何も○○なくても

 と「何も」を繰り返しそうになる。
 しかし、倉木さんはここで、(たぶん)あえて、「心に映し出し」とおいた。

 (個人的に、この場面では、「どんな時も どんな時も」と録音の時に勢い余って「どんな時も」を繰り返した『Reach for tha sky』が頭の中に浮かぶのよ)

   ●

 なぜ、倉木さんは、ここで「心に映し出し」と置いたのか。
 そして、なぜ、1番と2番に同じ「何も見えなくても 心に映し出し」という言葉を置いたのか。
 それは、その後にくる言葉への伏線となっている。

   ●

 (1番)
 ♪何も見えなくても 心に映し出し
  やさしく微笑ってる 君が見えるようで

 (2番)
 ♪何も見えなくても 心に映し出し
  君が見えるから いつも側にいてね

   ●

 同じ言葉を1番と2番に置くことにより、時間の経過がはっきりとしてくる。
 1番では「心に映し出し」ても、「君が見えるようで」と「ようで」とまだ推量の段階。
 それが2番になると、「君が見えるから」と「見える」と断定するまでになる。

 『君との時間』(だったけかな?)などで、倉木さんは歌詩の中で、同じようなフレーズでも、語尾を変えるなどして、時間経過をうまく表現させることがある。
 この『I sing a song for you』でも、同じ言葉を前に置くことによって、時間の経過を見事に表している。

 しかも、ここで重要なのは、ここでの時間の経過は、「君のこと」を「心に刻む」ことが、時間が経てば経つほど、「忘れたい」「忘れない」ものになっていくということ。
 つまり、時間の経過に逆らって、記憶ははっきりしてくる。
 それほど大事な、その時にはここまでわからなかった、大切な心に残る君との時間があったということだろう。

   ●

 ということで、この曲が入っているアルバム『FUSE OF LOVE』は税込3058円。

 もし、このアルバムの売上を上げるためにテレビCMをぼくが作るとすれば、どうするか。

 (まったく別の話をする)

 テレビCMには、シングル曲のプロモーションビデオは1曲も入れない。
 では、シングル曲を流さず、15秒と限られた時間をどう使うか。
 ぼくならば、この『I sing a song for you』1曲だけを、じっくり15秒間静かに流し続けるだろう。
 ナレーションは入れない。
 誰が歌っているのかも、隠す。
 アルバムのタイトル名と発売しているCD会社はどこか、問い合わせの電話番号だけテロップで流す。

 この曲を15秒だけでも聴けば、「誰が歌っているのか」「何という曲なのか」「どのCDを買えば聴けるのか」ということをそのCMを見た(ここでは「聴いた」?)人が、自分で探してくれる。
 そこまで強気になっていい1曲だと思う。
 この1曲だけで、3058円を払うことは全く惜しくない。
 15秒のCMでも惹きつけられるし、3分52秒になると、もうどうしましょ、ってなくらい満足してもらえると思う。

 『I sing a song for you』は、それだけの価値がある。

   ●

 と、『I sing a song for you』をべた褒めしていたら、『ミュージック・フリーク・マガジン』を読む時間がなくなった。
 またの機会にするか。

 そろそろ帰ります。
 

▼前の日記へ ▲次の日記へ ▲トップヘ


2005年9月12日(月)
「介子推」。


 ふ〜、ようやく、1冊読み終わった。

 『介子推(かいしすい)』宮城谷昌光さん著・講談社文庫

 昔の中国を舞台にした話。
 なぜこの本を読んだかというと、この本を読む前までは、日本人の死亡原因第一位の病気に関する本を何冊か読んでいた。そこから、「→いい治療法はないか→いい薬はないか→漢方薬なんてどうだろう」という流れで、中国に興味を持った。そんな時に、たまたま図書館でこの本を見つけたから。

 読んで見ると、この直前まで読んでいたのが、病気の成り立ちや症状のことばかりだったので、読みやすい読みやすい。
 やっぱり、人から伝えてもらうには物語(♪フェアリ〜テ〜ル〜)にしてもらえるとわかりやすくていいねえ。

 で、話の筋書きは置いておくとして、心に残る文があったので、二つ控えておく。

 〈生きている者は、音を発する。
 風に揺れる木も草も、岩清水でさえも、生きている。〉

   (83ページ「霊木の棒」より)

 〈「人は三人から中傷されれば、親でもわが子でもうたがう。そうなっても、その男を信じつづけることができるか」〉
   (206ページ「公子の臣」より)

 まあ、一つ目はいいとして、二つ目を読んで、三人以上から中傷されたことがあるのに、うたがうことをしないで、よくもまあ、信じつづけることができるものだ。
 と、中国の物語なのに、倉木麻衣さんのことを思い出し、またもや感心してしまった。

 今回のライブツアーの評判が結構いいみたいやん、倉木さん。
 頑張ってるねえ。
 ライブドアさんのブログやマイケーネットさんのダイアリーを読むと、今回のライブツアーでは、〈ステージからは皆さんの顔がよく見える〉とたびたび書いているように思う。

 『倉木麻衣のMai.K Diary - livedoor Blog(ブログ)』さん
 
http://kuraki.livedoor.jp/

 一つも二つも階段を上に昇っていくなあ。
 倉木さんに負けないように、頑張らないとな。

   ●

 話変わって。
 毎週土曜日に放送しているテレビドラマ『女王の教室』。
 この前の放送はうなり続けてしまった。

 ここまで、聞いてほしいことを子供たちは的確に質問をして、その質問に先生は的確に答えてくれるものか、と思った。
 勉強はするものじゃなく、したいと思うものか(だったっけ?)。

 放送が開始された当時は評判が悪く、CMスポンサーの名前も番組内では読まない措置までとられていた。
 しかし、その評判の悪さを変えようとすることなく、ここまで話を進めた制作スタッフの人の信念の強さに脱帽(←紋切り型のよくない文章例)。
 来週は最終回、ビデオにとってでも見ないと。
 再放送されれば、そっちの方が驚異的な視聴率を取りそうな予感だするなあ。

  ●

 そうそう、「脱帽」がらみで。

 倉木さん、「帽子」や「日傘」をテーマにした歌詩は作れない?
 「帽子」は何のために必要なのか?
 太陽をさえぎるため?
 日射病予防?
 最近は紫外線予防?
 それとも、誰かに見つからないようにするため?

 とか、「日傘」を夏だけじゃなく、あの人は冬にも持ち歩いているとか。
 そのきっかけはなんだったのか、とか。

 そんな物語を作れる?
 

▼前の日記へ ▲次の日記へ ▲トップヘ


2005年9月9日(金)
立命館に行きます。


 「立命館に行きます」

 とは、まだハッキリ言ってないけど、そうなりそう。

 と、言っても、ぼくのことではなく、「百ます計算」で有名な陰山英男校長先生のこと(広島県尾道市立土堂小学校の校長先生)。

 〈学校法人立命館(京都市北区)は7日、来春に開校する立命館小学校の副校長に、「百ます計算」で知られる広島県尾道市立土堂小学校の陰山英男校長(47)=写真=が就任すると発表した。立命館大の大学教育開発・支援センター教授も兼任する。〉
   (『朝日新聞』2005年9月8日(木)朝刊 3面
    「陰山さん次は立命小副校長
     来春新設校 大学教授も兼任」より)

 この記事を読んで、「おー、立命館、やりよるなあ〜」と感心した。
 別の新聞記事では、陰山先生は「まだ公務員だから何も言えない」と答えているようだけど、来春から立命館にくると、日本の教育はほんとに立命館が変えていくのではないだろうか。
 陰山先生と立命館のタッグに、ぼくは期待してしまう。
 なんと言っても、陰山先生は、「子供たちにゆとり教育を」という国の方針が強力に推進されていた時に、真っ向からに反対していた人だもんね。

   ●

 などと、陰山先生や立命館が載っているこの記事を持ち上げているのは、もちろん立命館大学に倉木麻衣さんがいたこともあるが、今回重要なのは、陰山先生の方だったりする。

 陰山先生は、もうすぐ新しい本を出すはず。
 確か大手出版社さんから発行される(予定)。
 定価は、えーと、いくらだったけな?
 新聞にも広告が載るかな?
 小学生向けの算数の参考書と問題集を兼ねたものらしいけど、これがなかなか今までになかったような教え方をしているように思うのだなあ。

 書店に並んだ時は是非、倉木さんにも手にとってもらいたいものだなあ〜。
 なんと言っても、ここ数カ月、魂を込めまくったのだなあ。
 おかげで、ライブツアー開始やアルバム発売の今の時期に、な〜んもできなくなったのだけど。
 まあ、よくぞここまでできました。
 あとは、青焼きの校正の返り具合を、神様に祈るばかり。
 どうか、誤字・脱字、図形の間違いなどがありませんよーに。

 (数万部単位で発行されるらしいので、小学生のお子様がおられる方は、是非、おうちに1冊よろぴく、よろぴく)

   ●

 さて、明日、あさっては東京でのライブだ。
 がんばるぞ、おー。

 (と、言っても、ぼくは大阪で仕事ですが)
 

▼前の日記へ ▲次の日記へ ▲トップヘ


2005年9月7日(水)
曲先?


 まだ、倉木麻衣さんの奈良ライブで買った『J*GM』を数行しか読んでない。
 倉木さんの言葉をほとんど聞かない今のうちに、アルバム『FUSE OF LOVE』について思ったことを書いておこう。

   ●

(気がついたこと・その1)

 全曲、もしかしてラブソングじゃないの?
 ということ。
 『ダンシング』『Tell me what』『chance for you』はラブソングではなく、応援ソングと言う方がしっくりくるかもしれない。
 けど、それらも「大きな意味でラブソング」と言いくるめてしまうと、これは「倉木さん、ラブソングがいっぱいのアルバムを作ってくれてありがとう」ということを言っておかなければならないのではないか。

 ということで、ラブソングいっぱいのアルバムを作ってくれてありがとう、倉木さん。

 で、テレビ番組の『CDTV』とかで、このアルバムは「1曲1曲にストーリーがある」という紹介を倉木さんはしていたように思う(違ったかな?)。
 そういうことをアルバムを聴く前に聞いたものだから、「う〜ん、この『駆け抜ける稲妻』や『Love, needing』『chance for you』は、どこにストーリーがあるのか?」と悩んでしまうことになった。

 これはたぶん、倉木さんはアルバムの紹介の仕方を間違えたのじゃないか?

 ここは、「1曲1曲にストーリーがある」と紹介するのではなく、「1曲1曲に愛することにつながる(=導火線)気持ちを込めました」ということだけ言っておいた方がしっくりきたのかもしれない。
 そうすると、「あ〜、この曲はこういう愛の形ね」と、ぼくの中で納得できたかもしれない。
 でも、先に「ストーリー」ということを聞かされてしまうと、どんな物語(=ストーリー)があるのかと期待してしまう。
 倉木さんは1曲1曲に何らかの背景のある「ストーリー」を込めたつもりだったかもしれないが、ぼくにとっては、その輪切りになったところしか見ることができない。
 「ストーリー」と言うには、その後ろにあるものを想像させる設定がない。
 歌詩にもっとそういう小物や場面を盛り込まないと、ぼくには「ストーリー」の一場面としてイメージすることはできない。

(気づいたこと・その2)

 もしかして、全曲、曲先で作った?
 ってこと。
 とっても好きな『I sing a song for you』は詩が先にあったのかな?と思っていた(どっかで読んだっけかなあ〜〜〜〜〜????)。
 しかし、『J*GM』の倉木さんのインタビュー記事で一部目に止まった『I sing a song for you』のところには、曲をもらった後に、詩をつけたようなことが書かれていた(ように思う。「あー、まだ読んだらダメ」とすぐに『J*GM』を閉じたので、はっきりとした倉木さんの発言として覚えていない)。

 う〜ん、もしかして、これがあれで、そういうことではないの?

 『FUSE OF LOVE』がぼくにとって、今いちと思うのは、全曲、曲先で作られた(かのように思える)ことが原因のようだ。

   ●

 『FUSE OF LOVE』では、『I sing a song for you』を除き、どの曲も、今までの倉木麻衣さんが使ったことのある単語や話の組み立て方、心意気を超える歌詩はなかった。
 それは、全曲、先に出来ている曲に詩を当てはめていったからではないだろうか。
 曲を聴いて、倉木さんはイメージを膨らませる。そしてフィーリングで歌詞を書いていく。
 今までのその作り方が、このアルバムでは見事に壁に跳ね返され、同じところをぐるぐる回ったままで終わってしまった。
 もし今後とも同じような製作方法を繰り返すならば、同じように、ぐるぐる同じところを回るだけで終わってしまうことだろう。

 しかし、ここで思い返してほしい。

 ぼくは、倉木さんは「作詞家」ではなく、「作詩家」だと思っている。
 「そうなってほしい」という意識がどこかにあるせいかもしれないが、倉木さんにはその素質があると思う。

 なぜなら、倉木さんのアルバム『FAIRY TALE』を聴き返してほしい。
 いや、「読み返して」ほしい。

 『不思議の国』と『fantasy』

 倉木さんはその2曲を「詩先」で作ったのではなかったか。

   ●

 倉木さん。

 今度のアルバムは、是非とも、曲先ではなく、詩先の曲であふれるアルバムにしてほしい。
 いや、次のシングルからでもいい。
 そこで、きっと倉木さんは光を見つけることと思う。
 今回のアルバムの歌い方に出ているような、どこか自信なげな感じも一掃されるのではないか。

 アルバムの全曲分の詩を先に書く。
 そのためには、できた曲を並べ替えるだけではなく、全体の構成を最初から考えないといけない。
 どんな内容にするか、どこで「起承転結」をつけるか。
 もらった曲のメロディにしばられるのではなく、倉木さんの自由な発想で妄想していけばいいと思う。

 そして、肝心なことは一つ。
 「先に詩を書いたら、曲をつける人はたいへんかもしれない」と、倉木さんは勝手に想像しないこと。
 曲を作ってくれる人はプロである。
 倉木さんが曲に詩をつけることができて、どうして詩に曲をつけることができないであろうか。

 しかし、中には、倉木さんが想像していたイメージと違う曲が出来上がってくるかもしれない。
 「それもまたよし」が一つ。
 「もう少し、こういうイメージで、もう1パターン作ってもらえませんか?」と無理を頼むのも一つ。

 最終的にどういうアルバムに仕上がるか。
 そこには、今までのように、曲先で作られ、歌う前からイメージが固定されている「流れ作業」で作るアルバムから、サプライズ連発の「刺激」がいっぱいのアルバムに大きく変わるのではないか。
 倉木麻衣制作チームのみなさんが、製作過程で味わった興奮を、ぼくらは音と詩から感じられると思う。

   ●

 と、簡単ではありますが、倉木さん、次のアルバム、次のシングルへの作り方の要望を提案しておきます。

   ●

 さてと。
 今日は、『FAIRY TALE』をソニーのMD(『チェッカーお試し掲示板』の=〜-ェ-〜=さん、どうもです。「MO」じゃありませんでした〜)に録音したものを持ってきたので、それを聴きながら帰ることにします。

   ●

 あ、そうそう。
 倉木さん、もう一つ言い忘れてました。
 ライブドアさんのブログとマイケーネットさんのダイアリー、拝見しました。
 ライブドアさんにはなくて、マイケーネットさんに入っている1行、しっかり読みました。
 おおきに。

 日本中あっちこっち飛び回ってたいへんそうだけど、どうか体に気をつけて。

 

▼前の日記へ ▲次の日記へ ▲トップヘ


2005年9月3日(土)
ライブツアー初日「なら100年会館」速報。


 間にあった〜。

 大阪の八尾の実家から戻ってこれた。
 午後4時。

 JR奈良駅からなら100年会館に行くまでの道の右側にあるウエルネス(?)というような名前のドラックストアに車を止めて、会場に徒歩で向かった。

 午後4時だったので、まだ人はまばら。
 しかし、ぼくと同じようになら100年会館に向かう人も数人いる。
 向こうから二人組の男の人が歩いてきた。
 手に持っている透明の袋には、なにやら倉木さんらしき顔が写っているものが見える。くるくるっと丸められたポスターらしきものもある。

 もう、グッズは販売しているのか。
 ということは…。

 会場への足を早め歩道橋の下の信号を渡った。

 「にいちゃん、チケットもってない?」
 黒いTシャツを着たダフ屋のにいちゃんである。
 こんな奈良にも出ているのか。
 もう少し歩いたところでも、別の人から「チケットもってない?」と尋ねられた。
 人気か?

 ハタッとそこでことのしだいがよくわかった。

 ぼくは急いで会館に入った。窓口は外には見当たらなかったので、きっと中にあるはずだ。
 自動ドアから入り、右の方にそれらしきブースがあった。
 あ、あ、。

 「あのー、今日の当日券ってまだありますか?」

   ●

 そうやったんよね。
 前の奈良ライブの時は、急きょ当日券が出たという話があった。
 だから、というわけではないが、今日のライブは、「ライブツアー」の初日だということを、すっかり重要なことだとは考えていなかった。
 そら、みんな初日は見たいわな。場所は、この奈良であろうとも。

   ●

 そんなことで、チケットは買えず。
 仕方がないので、階段の上にあるグッズ売場へ。
 階段を上がった右側には、ガチャポンがあり、いくらかのお金を出してコインを買うと、そのガチャポンができるような仕組みになっているようだった。中には倉木さんの直筆の何かが入っているとか書いているように思えたが、気のせいかな?
 グッズ売場はまだ、売っている人の数の方が多いくらい。
 「開演になりますと、混雑しますので今のうちに…」
 という呼びかけもあった。

 ぼくはそこで、「これパンフレットですか?」というパンフレット2500円と、倉木さんが表紙を飾っている『J*GM』を買った。

   ●

 ドラッグストアの駐車場から車を出し、奈良にきてくれた倉木麻衣さんやスタッフの人たちに敬意を表するために、その車でなら100年会館を地味に1周。
 パラパラ、パラパラ♪という音が鳴るクラクションをつけていたら、そこで「奈良へようこそ、倉木さん、スタッフのみなさん、ありがとう」と意味を込めて、派手にならしたい気分だった。

   ●

 結局、今回の奈良でも会場内には入ることができなかったけれど、倉木さん、スタッフのみなさん、ライブ会場の外(今日は家だけど)から応援しています。
 入れなくて残念という気持ちより、ソールドアウトになっててよかった〜、という気持ちが今回もいっぱい。こんないっぱいの人に応援してもらえるようになって、倉木さんよかったね。

 倉木さんもスタッフのみなさんも、そして会場でライブに参加できるみんなも、みんながみんな楽しいライブになりますように。

 (『I sing a song for you』はいつか直に聴いてみたいなあ)

 そうそう。
 奈良はいい天気。
 フェーン現象かと思えるくらい暑いです。八尾も暑かったけど。
 

▼前の日記へ ▲次の日記へ ▲トップヘ


2005年9月2日(金)
8曲目「Tell me what」考。


 倉木麻衣さんのアルバム『FUSE OF LOVE』を聴き返している。

 それにしても、中の曲全体が甘甘なのに、ジャケットのタイトルは、なんで全部大文字の『FUSE OF LOVE』なのだろう?
 もっと柔らかいイメージの、筆記体で斜めに傾いている明朝系の文字(歌手名の「Mai Kuraki」で使っている文字)の方がよかったと思うのだけど。
 ほんとに、このアルバムのアートディレクションとデザインは、小島巌さんがしたのだろうか?

   ●

 その『FUSE OF LOVE』をもう一度聴き返した。
 そして、聴き返して思うのは、やはりラストの拍手は余計だということと、8曲目の歌詩がもったいないということ。

   ●

 まず一つ目。
 ラストの『chance for you』の最後に流れる拍手と歓声のこと。

 「これってもしかして?」と思ったのは、大滝詠一さんのアルバム『A LONG VACATION』をヒントにしたのかな、ということ。
 大滝詠一さんの『A LONG VACATION』では、9曲目の『FUN×4(フォータイムスファン)』が終わってから、拍手の音が入っている。倉木さんと同じように「ヒューヒュー」という声も聞こえる(倉木さんの方より、遠くて小さい声だけど)。
 でも、倉木さんのアルバムの拍手と歓声と、このアルバムのが違うのは、拍手がだんだんと揃っていき、いつの間にか「アン・コー・ル」「アン・コー・ル」となっていくところ。そしてその「アン・コー・ル」の後には、静かな音から始まる『さらばシベリア鉄道』が流れるところ。まさに『さらばシベリア鉄道』が「アン・コー・ル」の一曲になっている。
 しかし、違いはそればかりではない。
 『さらばシベリア鉄道』が終わったあと、大滝さんのアルバムをもう一度1曲目から聴き返してみる。
 そうすると、『君は天然色』が始まる前に、最初は聴き逃していた音が入っていることに気づく。
 楽器をチューニングをしている音、曲が始まる前のドラムのスティックを叩く音。

 『A LONG VACATION』はスタジオにこもって録音したアルバムであっても、アルバムを聴く人にとっては、ライブ会場にいるような錯覚を起こさせる作りになっている。

 しかし倉木さんのアルバムの最後は、拍手と歓声だけ。
 他に何のつながりも伏線もない。
 「あ、それいいね、楽しいかも」と、『A LONG VACATION』を知っている誰かが提案し、何も考えずに賛成した人が、その場面だけを真似て入れたかのようだ。
 そのように感じるのは、拍手と歓声の音が、倉木さんの歌声よりも大きく聞こえてしまうためだと思う。

   ●

 もう一つ。
 8曲目の『Tell me what』。
 「何か言って」という意味かな?

 この曲はこの前の日記にも書いたが何かの曲に似ている。
 それは槇原敬之さんの『僕が一番欲しかったもの』。
 曲の構成、全体の雰囲気が、『僕が一番欲しかったもの』を超える曲にしようという意気込みがあるように思う。
 特に編曲なんか、人生の縮図をこの1曲に込めました、なんてことまで考えてしまうほど、いい感じに仕上げてくれていると思う。

 しかし、倉木さんはこの曲と編曲を、「絶対に信じていればすべて動き出すよ」という、いつもの「倉木麻衣さんの夢はいつか叶うよ節」の歌詩に小さくまとめてしまった。
 ぼくがこの曲を作り、アレンジを担当していたならば、倉木さんがこの歌詩をつけたことに、言葉に出さないけどれ、心の中でため息をついたことだろう。
 しかも、この曲は、同じテーマを歌っている『ダンシング』の次の曲として置かれている。
 もったいな過ぎる曲順と歌詩の内容だと思う。

 だったら、どんな歌詩を書けばいいのか。
 全然メロディに乗らないが、昨日電車の中で即興で考えた。
 倉木さんは、ただ信じようと詩うのではなく、疑ったあともう1回信じられるようになる方が強いということを、そろそろ取り入れていい頃だと思う。
 『Simply Wonderful』、歌うべし。

   ●

『Tell me what』返詩

 Tell me what I sing a song
 疑った君を見返すために
 Do you cry weep for dream
 今日も呼吸を整えてる
 あとどれくらい時間がたてば
 君の記憶はリセットできる?
 夜にしのびこんでそのヒューズを
 飛ばしてみたくなる時がある

 I can それでも君は僕を信じた
 We can ふりを続けて話しかける
 I can そんな軽い You can 会話たちが
 We can 二人を今日もつなぐ愛の形

 Tell me what is the night and day
 どこかに行こうと僕が誘う
 Air to bird the sea to a fish
 君は「いいよ」とうなずく
 それでも君の心のヒューズは飛ばない
 そんな君の優しさはどこで手に入れたの?
 苦しい気持ちも 張り裂けそうな思いも
 君は言葉にする方法を知らない

 I can 僕はそのことに You can 気づいた時から
 We can この国の教育をうらんでいる
 I can 忘れたの? You can それなら
 We can ぼくもうなずき返せる

 君のことを守る? 君を世界一幸せにする?
 そんな誓いの方が守れっこない
 君の心のヒューズ 火花散らして
 僕は君にこう言わせたい

 I can そして「僕と君」の You can 未来は
 We can なくなっていくことだろう
 I can そして「僕」と「君」の You can 未来は
 We can これから続いていくことだろう

 僕は息を止めて 君にコイルを
 まきはじめる

   ●

 ふー、なんのこっちゃわからない。
 ま、いいか。

 そんな日でも、明日は、奈良でのライブ初日だ。
 さて、家に帰るか。

 (明日は八尾の実家に帰らないといけないかもなのよね)
 

▼前の日記へ ▲次の日記へ ▲トップヘ


2005年8月31日(水)
倉木さんだけに。「FUSE OF LOVE」リアルタイム感想。


 さて、ようやく仕事が一段落。
 というか、先方様に原稿をお預けしている校正待ちの段階なんだけど、ようやく一息。
 ということで、今まで我慢をしていた倉木麻衣さんの曲を久しぶりに聴きたいと思う。

 いつ以来だろうか。
 曲を聴くだけじゃなく、ここまで数か月以上、ほとんどの倉木さん情報をたっていた。
 アルバムが発売になるということを知って以来、その禁断状態はさらに厳しくした。たまたま仕事と友達と家のことが同時にバタバタしだしたこともあるのだけど。
 ぼくは、発売するアルバムについて倉木さんがどう考えているのか、どういう曲が入っているのか全く知らない。
 そんな状態になった。というより、途中からは、そんな状態を作ろうと思った。

 なぜ、そういう状態を作りたいと思ったのか。
 それは、倉木さんが発売したここ数曲のシングル曲にある。
 ここ数曲のシングル曲に、ぼくの心はうんともすんとも言わなかった。
 言葉をかえれば、倉木さんの曲はぼくの心に響かなかった。
 2曲例外はある。いや3曲かな。
 でも、その3曲は、「これはすごい。名曲だ」という理由で、ぼくの心に届いたのではない。
 そうじゃなくって、「あ、倉木さんからの返事だ」と思ったからだったりする。
 心に響いた動機が不純。
 だから、「例外」の3曲はある。

   ●

 しかし、そんな禁断状態を作ろうとしても、なかなか難しい。
 一度は『ジェイ・グルーヴ・マガジン』を立ち読みしてしまった。
 一度は公式ファンクラブサイトをのぞいて、テレビ番組『CDTV』を見てしまった。

 「1曲、1曲にストーリーがある」

 そんなことを倉木さんが言っているのを聞いてしまった。
 そして、こんなことも聞いてしまった。

 「ワンフレーズでもいいから聞いてください」

   ●

 ワンフレーズで伝わるのだろうか。
 いいかげんなこと言うんじゃない。
 「倉木麻衣」の音楽はCMソングじゃないだろ。
 全曲を通してしか、そのよさはわからないはずだろ。

 そう、誰かそんなことを、ここで突っ込んでやってください。

 『CDTV』で倉木さんの登場を待っている間に、アルバムのテレビCMも見てしまった。

 『ピーエス(ハート)マイ・サンシャイン』
 『ダンシング』
 『ラブ・ニーディング』
 『明日へ架ける橋』(は、かかったけ?)

 シングル曲が入れ替わり登場した。
 う〜ん。
 うなるぼくにCMの最後の曲が、ズキンときた。

 ツナイダ ソノテヲ ハナサナイデ

 ?

   ●

 『Reach for the sky and I sing a song for you』?

   ●

 なんなんだ、これは。
 『リーチ・フォー・ザ・スカイ』の続き?

   ●

 ようやく時間がとれたので、全く無の状態で、倉木さんのニューアルバムを聴こうと思う。
 そして、聴いている感想を、リアルタイムで書いていこうと思う。

 でも、ほんとは、『ジェイ・グルーヴ・マガジン』も少し読んでるし、『CDTV』も見ているし、テレビCMも聴いているので、「全く無の状態」ではない。
 しかーし、ほとんど情報を入れていない状態で聴いた感想を、ここは一つ、倉木さんに届けなければならないと、と使命感を持っている(別に「使命感」は必要ないと思うけど)。

 ほんとはどう思っているのか。
 満足しているのか、満足していないのか。
 聴き終わったあと、どう思うのか。

   ●

 聴く前の予想としては、ここ数曲のシングル曲にぼくは満足していないところから推測すると、う〜ん、と言葉を濁したくなる結果になるのじゃないだろうか。
 満足のいかない、いやもっと言えば、中途半端な不満だらけのアルバムになっているのじゃないだろうか。
 そんな不安な気持ちがあったりする。
 ただ、『CDTV』のテレビCMで聴いたあのワンフレーズ。
 あのワンフレーズがどこで使われているのか。
 そんなところをじっくり聴ければいいなと思う。

   ●

 では、そろそろ聴き始めたいと思う。
 その前に、音楽アルバムには曲の前に、これがある。
 パッケージである。
 まずはジャケットから見ていく。

   ●

 今回のアルバム『FUSE OF LOVE』のジャケット。
 パッと見て、『FUSE OF LOVE』の文字は、なんでこんな太いゴシック系なの?と思った。

 そうだ。思い出した。
 紫色は倉木さんのラッキカラーということも、ネットの記事で見たのだった。

 倉木さんのラッキーカラーである「紫」をわかってもらうために、文字にその色をつけるのはわかる。
 そこを強調したいために、ゴシック系の太い書体にしてしまうのも理解はできる。
 しかしそれは理解ができるという段階まで。

 このジャケット、全然おしゃれじゃない。

 こんなイメージなの?
 紫を押しつけるような。
 そう、なんかこのタイトル文字には、押しつけがましさがある。

 その上、倉木さんの顔写真。
 倉木さん、きれいに撮れているなあ、とは思うが、「ジャケットに倉木さんの顔写真は必要なし論者」であるぼくにとっては、なんでまた倉木さんの顔写真で売ろうとするの?
 である。
 ジャケットをデザインした人は、倉木さんの顔を出さないと売れないとでも思っているのだろうか?
 デザイナーさん、もっと音楽だけで勝負してよ。

 である。
 そんなふうに思うのよ、このジャケットを見ただけで。

 ジャケット全体の色、青みがかった紫は、いい色を選んでいるなと思った。

   ●

 ジャケットをひっくり返してみる。

 おー。

 なんと倉木さんがコンバースの靴を履いているではないか。
 ん?でも、これはハイカット?(←かかとの上が長くなっているのは、こういう名前でしたっけ?)
 ぼくはローカット(でいいのかな?)の黒色のコンバースが大好きだったりするので、この裏ジャケットを見た時に、こんな感情をいだいた。

 「おし〜」

 なぜ、ぼくが黒色のローカットのコンバースを好きか。
 それは中学生時代にさかのぼる。

 ぼくはバスケットボール部にいた。
 だから、コンバースが好き、というのはこじつけである。
 しかも、バスケットボール部にいた1、2年の時は練習に出ていたが、3年になるとぱったり練習にいかなくなり、「お前はなんで練習にこない」と怒られた記憶があったりする。
 バスケットボール部のみんなはコンバースをはいていた。
 体育館の四隅におかれた雑巾をそのコンバースで踏んでダッシュをすると、キュキュ、キュキュと床にこすれていい音が体育館中に響いていた。

   ●

 しばし、遠いところへ行ってしまいそうだった。
 まだ、アルバムを聴き始めてさえいないではないか。
 久しぶりに時間がとれたというのに、今日はアルバムを聴きながら、リアルタイム日記を書くぞと気合いを入れているというのにだ。

 続けよう。

 裏ジャケット。
 曲名などの文字の色は黒。
 写真に載った、この黒色の文字が飾っていなくてとてもよい。
 が、その文字の位置は、もう5ミリほど左の方がよかったのではないか。
 左端の版面と倉木さんの頭の位置を考え、そのだいたい真ん中を狙って置いてみる。しかし少し気持ちが悪い。もうちょっと左かな?
 そんな感じで裏面のジャケットのレイアウトを決めたような気がする。
 表面もそうだけがこの裏面も含めて、まだデザインをし始めたばかりの人がこのジャケットを作ったような感じがする。デザイナーになりたての人かな?
 どこか素人くささが残っている。
 もう少し曲名の文字のポイントを小さくし、左上の角につけるようにした方が、もっとおさまりがよくなったような気がするのは、ぼくの感じ方だけかな?

   ●

 そろそろ中を開けよう。
 ん?なんだなんだ、このCDの盤面は。
 倉木さんはサイケ好きだったっけ?

 銀色のCD面の上には、ハート、スペード、ダイヤ、クローバーの透かしの地紋が置かれている。
 その上にのっているのは、倉木さんのラッキカラーの紫で描かれたハート。そこに導火線がついている絵。ハートの後ろにある紫色の帯がカクカクしている。

 ぼくとしては、好きか嫌いかのどちらかで答えろと言われれば、「嫌い」なイラスト。
 なぜ嫌いなのかというと、印刷のデザインする時に使うフリーの素材集がある。
 ぼくの会社にも、アメリカ製で40枚くらいのCDが付いた素材集があったりするのだけど、そこに入っているハートのイメージがここで書かれているハート。
 で、その素材集っていうのは、その素材集専用に新しく作られたものではなく、今までにどこかで使ったものをデジタル化したもの。だから、どこか古いイメージがあるし、このためだけに特別に作りました、という感じがない。
 このCD盤に描かれているイラストも、「昔のサイケ調でいこうよ」のノリで描かれただけのような感じがした。

 倉木さんのライブツアーとかで、その度ごとに作られるライブツアーのロゴは、もっと練りに練って作られているイメージがある。
 なのに、なんかこのアルバムのCD盤にあるイラストは手抜きされたような感じがするのは気のせいだろうか。

   ●

 アルバムの曲を1曲も聴いてないのに、こんな状態でいいのだろうか。
 先に進まないと曲が聴けなくなってしまう。

 ジャケットが付いている歌詩カードをパラパラと見てみる。
 最初のページを開いた左側にあるのは、何の写真だろう。
 バックはレンガ?

 「MAI
  KURAKI
  FUSE
  OF
  LOVE」

 の文字。その文字の太さが微妙に違うものがある。
 「MAI」と「KURAKI」は同じ書体?
 しかし、「FUSE」と「OF LOVE」は明らかに太さが違う。
 そういえば、最初、倉木さんのこのアルバムのタイトルは「FUSE」だけじゃなかったっけ?
 ここの「OF LOVE」は後でフォトショップでくっつけた?

 歌詩カードの全体は、黒をベースにしている。
 歌詩のあるところは、すべてバックは黒ベタで、文字は銀。
 文字のところは一見、白色に見えるけれど、歌詩カードを斜めにして、蛍光灯の光の当て方を変えれば、銀色だということがわかる。
 ここでは歌詩を読まずに、パラパラする。
 最後に倉木さんの手書きのメッセージがある。
 3行の言葉。
 しかしその3行目の意味がよくわからない。

 「信じること
  愛すること…
  きっと光に近づいていける」

 ん?「光」とはなんだろう?
 「彼」?
 「夢」?
 「希望」?
 「未来」?
 「意志」?
 …
 それとも暗闇の「出口」?

   ●

 では、そろそろ聴き始めよう。
 倉木麻衣さんの『FUSE OF LOVE』、税込3,058円。

   ●

 (たぶん曲名を書いている間がないと思うので、「1曲目」とかの書き方でいきます)

   ●

 1曲目。
 きれいな始まり方。
 「この羽根に値打ちがあるとは思えないけど」
 いいフレーズ。
 でも、なんか甘〜い。スイートっていうの?
 お、「チョコのように解けて、あまい気持ち」って出てきたやん。

 うん、そんな彼が倉木さんにできますように。

   ●

 2曲目。
 これまた明るい。
 と思えば、『ピーエス』やね。
 この曲の作曲者は岡本さんやったよね。
 岡本さんのアルバムは買いたい買いたいと思ってた。
 でも、この曲はこういうわかりやすい曲じゃなく、もっと、岡本さんっぽく、フリッパーズギターさんたちみたいなネオアコ(やったっけ?)みたいに、曲を先鋭化させてもよかったのに、と思う。

 うーん、倉木さんの歌い方、どこか自信がなさそう。

   ●

 3曲目。
 これも聴いたことがある。
 この曲は、最初の方で書いた、例外の3曲のうちの1曲。
 曲調がそこらへんでウヨウヨしている歌謡曲っぽくないところがいい。
 歌詩では、「成し遂げることが必要」の「必要」が、倉木さんからの返事のような気がした。だからとても他人のふりをしてこの曲は聴けない。
 この曲を聴いていると体中がぞくぞくするのは、その「他人事では聴けない」からだと思う。

 そうそう、なぜ「必要」という言葉にぼくが感じるかというと、『ラブ・ニーディング』は「愛だけが必要なの?」という疑問がぼくにあったから。他にも必要なものがあることがわかったから。

   ●

 4曲目。
 はじまりと、少し経ってから曲調が違う。
 「ぼく」が主人公?
 「嵐の前の静けさ」という歌詩の表現は陳腐。
 「駆け抜ける稲妻」という言葉も今いち。
 同じ日本語でも「駆け抜ける稲妻」と「君との時間」では、どっちの方が深く広くイメージが沸いてくる?(←倉木さんに聞いているつもり)

 こういう言葉が練られていない曲は、ぼくは今いちというか、心に響かない。
 倉木さんが一生懸命歌っていても、心を込めて歌っていても、それは同じ。
 「心に響いた」とぼくがここで言えば、それは嘘。

 だから、この曲は、長いと感じた。
 アルバムから外してもよかったのでは?

   ●

 5曲目。
 ん?どんな曲?
 あ、静かなままで始まった。
 「なみださそう、嘘が聞きたかった」?
 あ、「ドアの前、立ちつくしてた」って、ストーリーしてるやん、倉木さん。
 う〜ん、でも、その設定が、なんか古い。

 倉木さんはそんな場面で泣く?
 泣けへんのんちゃう?
 泣くのは、自分に腹が立った時とか、自分の言葉がうまく出てこない時と違う?
 悲しい場面で、悲しいからという理由だけでは泣かないと思う。

 わ、「導火線」って、こんな曲調の時に使うかあ〜。
 ちょっと無理があるんじゃないの?

 なんか、最近流行の韓国ドラマの歌のよう。編曲が。

   ●

 6曲目。
 『ラブ・ニーディング』やね。
 今まで5曲過ぎたけど、新しく聴いて、「おおおっ」となった曲はない。
 この『ラブ・ニーディング』もそう。

 なんでぼくが、この曲にもそうならないかというと、「ラブ」の大安売り、という感じがするから。
 倉木さんは「アイ・ラブ・ユー」とか「アイ・ニー・ジュー」と何回も連呼してる。
 でもそれは、英語だから気軽に出来てると思う。

 でも、相手に届く言葉はそんな言葉だろうか。
 何回も「アイ・ラブ・ユー」とか「アイ・ニー・ジュー」とか言われるよりも、一言「好きです」と言われる方がぐっとこない?
 もっとくるのは、そんな言葉を使っていない時。

   ●

 7曲目。
 『ダンシング』。
 この曲は例外の3曲のうち1曲。
 「12345678」のところが、ぼくには他人事には聞こえない。
 なぜなら、そこはラジオ体操の「イチ、ニー、サン、シー…」に通じるものがあるから。「12345678」と言って、シャドー・ボクシングができるように思えるから。

 そうそう、5キロのマラソン、かなり後ろから数える方が早いけれど、完走できるようになったのでした。
 去年の年末から今年の春は、マラソン大会に出ていたため、休みには日記を書けなかったりしたのよね。
 (といっても、最長5キロのマラソンなのだけど)

   ●

 8曲目。
 どこかで聴いたことがあるような曲調。
 スマップの曲?
 でも、なんかいいな、この曲調。
 
 うーん、でもこの曲調。
 またどこかで、「同じような曲がある」と言われているのじゃないの?
 そんな心配をしてしまう。

 歌詩は倉木さん得意の、あ、この曲調、槙原さんのあの曲じゃないの。
 あーーーー。

   ●

 9曲目。
 あー、この出だしはもう受けつけません。
 あまりにも軽すぎる。
 こういう曲調を好きな人もいるのだろうけど、ぼくは小さい頃から、こういう曲調は受けつけなかったような気がする。

 あれ?ここで、「きみの手を握り返した」っていってない?

 うーん、これも長いと感じる。
 申し訳ないけど、倉木さん、この曲もアルバムから外してもよかったんじゃない?

 倉木さんの歌詩で、「これは倉木さんが頭の中だけで考えて作ったな」と思える時がある。この曲もそんな感じ。
 どこか、リアリティがない。
 リアリティのある曲の代表曲は『サンフクル』かな?
 あの曲は、頭の中で作ったというより、体の中から外へ出さなきゃ仕方なかった、という感じがする。外へ出さなきゃ、倉木さん自身がもたなかったような感じ。
 だから、ぐっとくるのだと思う。

   ●

 10曲目。
 『明日へ架ける橋』の二つ目のバージョン?
 この録音って、バックの音楽と倉木さんの歌は、「いち、に、の、さん」で一緒にとったの?って思うくらい、倉木さんの歌は気合いが入っているというか、意気込みがあふれている気がする。
 『明日へ架ける橋』で、倉木さんは、「倉木さん節の歌詩」の最高峰を作ったと思う。
 ぼくとしては、だから、同じ最高峰の山を何個も作るのではなく、これからは海や空や地球や、宇宙や体や空気や、元素や原稿用紙や、鉛筆や、お茶や…、もっと違うものを作ってほしいと思う。
 倉木さんの最近の曲は、山の高さ比べをしているように感じる時がある。

   ●

 これかな?
 11曲目。
 ピアノ、倉木さん弾きながら歌ってる?

 静かに聴きたくなった。ので、コメントなし。

   ●

 今、間奏のピアノ。
 新しい代表曲になるんじゃないの?

   ●

 こういう歌を歌われた人は、幸せだなあと思った。

   ●

 12曲目。
 これまた、なにか軽い。

 うーん、この全体を覆っている軽さは、倉木さんが学生時代のように、何かに追い込まれていないから出てくるのかな?
 切迫感がない。

 その分、ノンベンダラリとしてて、心に突き刺さってこない。
 ぼくらの閉じている心でも、少しだけ呼吸する穴があれば、そこから、

 あー、なんだ、この手拍子は。
 だめだめだめ。

 あー、あかんわ、倉木さん、これはぼくの体は受けつけません。
 あー、なに、最後のヒューヒューは?

 いきどおり、いきどおり。

 身内でほめあうアルバムにしたかったの?

 申し訳ないけど、最後の最後で冷めてしまった。

 以上。

   ●

 次の曲は、みんなのこころに響かせることをテーマとするのではなく、みんなの耳と勝負することを狙って作ってほしいと思う。
 『FUSE OF LOVE』は非常に甘い曲ばかりで、物足りないというより、倉木さんと心が遠ざかったように感じたアルバムでした。
 特に最後。

 あの終わり方は、倉木さん、スタッフのみなさん、それはないよ。という感じでした。

 これが倉木さんのアルバムでなければ、ぼくはもう二度と聴き返さないと思いました。
 

▼前の日記へ ▲次の日記へ ▲トップヘ


2005年7月19日(火)
タッチ、セーフ。


 昨日、日記を書いたあと、すぐにうどんの「たなか」さんに行ったさ。
 奈良から宇治田原はやっぱ遠いさ。
 車でそうさな、1時間くらいか。
 「たなか」さんに入ったのが、ちょうど2時くらい。

 (おー、お客さん、いるいる。満員だー)

 と心の中で喜んだのだけど、この前来た時と、ちょっと雰囲気が違う。
 どちらかというと、元気のいい店長さんが静かめ。
 周りを見回すと、テーブルはほとんど埋まっていたのだけど、うどんを食べている人が一人もいない。

 なぜ?

 まさか?

   ●

 きつねにつままれるとは、こういうことをいうのであろうか。
 と、思うわけはなく、(今日は何食べよーかなー)ということで頭がいっぱいだった。

 「ぼくは、かけの小と、ぶっかけの小」

とダブル「小」作戦に一気に出たのである。

 しかーし。

 そこで、なぜ店内が異様に静かなのかその理由がわかった。

 「ちょっと時間かかりますけど、いいですか?」

 そういう店長さんの声が返ってきたのである。
 そう、今、おうどんちゃんはお湯の中につけられたばかりで、湯がき終わるまで時間がかかるということだった。

 なーるD。
 だから、テーブルの人々はうどんを食べていなかったのか。
 ぼくは、(わー、ゆがきたて〜)と喜んで、お茶のポットが置いてある、入口の窓につけられた長テーブルに座った。

   ●

 ぼくの後にも「たなか」さんの店内に人が入ってきた。
 その人たちにも、「すいません」という店長さんは謝っている。
 う〜ん、売れすぎるって、難しいなあ。でも、すごいなあ。
 そう感心していると、またまた次の人が入ってきた。
 その後ろには車を降りたばかりの人も見える。
 おおー、すごいすごい。行列ができてしまうやん。
 そう思ったのもつかのま、次に発した店長さんの言葉はぼくの想像を超えたものだった。

   ●

 我ながら驚いた。
 まさか、ぼくがそんな場に遭遇するなんて。
 ああ、神よ、なんてこった。ラッキーなこったった。

 「あい、すみませーん。もう麺切れなんです」

   ●

 あー、なんて残念。
 あー、なんて悲劇。
 確か、今入ってきた人が乗ってきた車は「大阪」ナンバーだった。
 その次に、大きなバンできた二人連れのお兄ちゃん方も「大阪」ナンバーだった。
 遠いところからきたのに。

 あー、なんてラッキー。
 あー、なんて幸運(←ぼく)。

 麺切れの瞬間を、初めて目の前で見たのでした。

   ●

 で、その「たなか」さんをどこで知ったかのご質問を頂戴いたしました(『チェッカーお試し掲示板』34675番のポン太さんより。まいど、ポン太さん)。
 うどんの「たなか」さんは、ふとのぞいたタケちゃんさん(釜たけうどんさん)の掲示板で知ったのでした(だったけな?。それともナベゴンさんの掲示板だったけな?)。
 まあ、なんしか、うどん関係のホームページで見つけたのでした。

 で、その「たなか」さん。
 場所もわかりにくいのに、もういろんな有名な人が食べに行ってたりするのですね。
 あの有名なケツカッチンの高山さん(ほら、もとベーブルースの。あの奈良テレビの『きままに駅サイト』の)とか、ゴンチチさん(「キッコロー、モリゾー」の)とか。壁にサインがこの前より増えててびっくりしたのでした。

 もうひとーつ、竹生島には鳥人間コンテストを見に行ったのでは?とのご質問も頂戴しています(『チェッカーお試し掲示板』34670番のKさんより。まいど、Kさん)。
 確かに。
 確かに、彦根の港にありました。
 「鳥人間コンテストスタッフ駐車場」(だったけな?)なる看板が。
 しかし、ぼくは「あれ?今日?まさか? 全然鳥人間さんは歩いてないやん」と思っていて、近々鳥人間コンテストが開かれるための看板だと思っていたのでした。

 Kさん、その日が大会だったの?

 もし知ってたら、もっと周りを見回したのに〜。
 ただ、彦根から竹生島へ向かう時に、「ヘリコプターも飛んでるなあ〜」とは思ったのですが、その日はえらくくもっていたので、な〜んも知らずにお参りだけしたのでした。
 (船に乗っている人や島にいる人の割には、車がいっぱい停まっていたのは、そういうわけだったのかあ〜)

   ●

 以上、本日の日記は、昔話風からディスクジョッキー形式で書いてみたのでした。
 やった、2日連続で書けた〜。

 

▼前の日記へ ▲次の日記へ ▲トップヘ


2005年7月18日(月)
海の日〜。


 今日は「海の日」らしい。

 でも「海の日」とは関係は全くなく、昨日はひさ〜しぶりに船に乗った。
 どこで船に乗ったかというと、滋賀県の彦根から竹生島(ちくぶしま)まで。オーミマリンの高速船「わかあゆ」号。
 なんでそこまで行ったかというと、その船に乗る無料招待券があったから(←単純)。
 まあ、竹生島は西国三十番札所の宝厳寺というお寺もあることを押さえておかねばならない。

 それにしても、やっぱり船はいいねえ。
 最初はクーラーの効いている室内の座席に座っていたのだけど、部屋の後ろにある扉を開けると、屋外の座席があった。
 ひゅーひゅー、風が前から後ろへ過ぎていくのよ。
 ちょっと体を伸ばして外を見ると、ざぶざぶざぶと、前へ進んでいく船がけちらす波がメガネにあたったりするわけよ。

 きもちい〜。

   ●

 竹生島は、想像していた以上に、お寺しかない島だった。
 船から降りて、コンクリートで作られた港をとんとんと上がると、すぐお土産屋さんのアーケード。
 といっても、道の左側に4〜5軒並んでいるだけで、そのアーケードの続きにお寺に入山するチケットを買う自動販売機が置かれていた。
 入山料は400円。
 むむむ、300円じゃないのか。と何の根拠もなく思いながら、柵をくぐる。

 いきなりの階段。
 ぐーと上を見ても、そこには階段。
 へーこら、上がらせていただきました。

 階段を一気に上がると、そこには大きなお寺の本殿らしきものが左の方に見える。
 よくぞ、こんな坂の上に、そんな大きな物をつくったものだ。
 ひたすら感心して、世界人類の健康を祈る。
 もちろん、その本殿の手前にある、お札を売っているようなところで、西国三十番札所の冊子にハンコをもらったことは言うまでもない。

 「順路」の矢印にしたがって歩いた先にはさらに上に登る階段と、その先には下に下る階段。
 もちろん選んだのは「その先」の方。
 上に登る階段を上がると、三重の塔があるようなのだけど、その位置からでもちょっと見えたので、まあいいか。

 下に降りる階段の手前まで行くと、眺めがいい。
 「めちゃくちゃいい」といいそうになるくらい、風情がある小さな港と、左の方にはかやぶきのような屋根が見える。
 急な階段を降りると、そのかやぶりの屋根は、国宝に指定されているお寺の本殿だった。
 桃山時代の建立というようなことが書かれていたので、豊臣秀吉の時代か。
 確かに屋根の感じが、三角ではなくなだらかな丸味を帯びている。京都の豊国神社で見た唐門の形に似ているのは気のせい?

 その本殿の中に入っていくと、そこにもお札が売っているところがあり、さらに進むと、古い古い渡り廊下があり(ここも国宝らしい)、ひじょーに、

 「なんかいいー」

感じにどっぷりひたってしまった。
 またいつかくるよ、竹生島。

   ●

 そうそう。
 船が彦根から竹生島へ向けて出発する時、港の方を見ていると、港に残った船員さんお二人がずっと手を振ってくれていた。
 竹生島から戻ってきた時も、「おかえりなさい」「ありがとうございました」という声が、ほんとなんか、

 オーミマリンさん、いいぞー。

と思ったのでした。

   ●

 で、話は全く変わって、最近読んでる本。

 『阪大医学生が書いたやさしい「がん」の教科書』
  (駒沢伸泰さん著、松澤佑次さん編集、PHP文庫)
 『日本の名薬』(山崎光夫さん著、文春文庫)
 『ガンの治療法はこれほどある』(帯津良一さん・和田努さん著、実業之日本社)
 『ぼくがすすめるがん治療』(近藤誠さん著、文芸春秋)
 『がん専門医よ、真実を語れ』(近藤誠さん編著、文芸春秋)
 『がん患者学』(柳原和子さん著、晶文社)

 どの本も、この本も

 ぶあつい〜。

 なんとかならぬか。

 それにしても、どうしてこうも、日本人がよくなる病気の治し方がいっぱいあるのか。
 しかもそのどれもが、「こうすりゃなおる」って決め手がない。
 いきなり暗中模索で、未来に明かりがない。
 「夢は信じれば叶う」なんて簡単に言えない。

 だけど、ぼんやりだけど、治ると思うのよねえ。
 その「治ると思うのよねえ」が、「ワイが治したる」って思えるようになるのはいつの日か。

   ●

 あ、もう一つ、そうそう。
 京都の宇治田原に、すっごくすっごくのうどん屋さん発見。

 『本格讃岐スタイル セルフうどんの たなか』さん
 
http://web.kyoto-inet.or.jp/people/zzc-nori/

 ひ〜ろい駐車場の奥にちょこんとあるお店。
 雰囲気と味は、まさに讃岐スタイルです。

 日曜は休みだけど、今日の海の日は営業中。
 今から行ってきます〜。
 

▼前の日記へ ▲次の日記へ ▲トップヘ


2005年7月6日(水)
もうすぐ七夕だ〜。


 悲観することは何もない。
 ぼくはいたって元気ですよ〜。
 そして、みんな元気になるあるよ。大丈夫あるよ。

   ●

 掲示板を2つアップ。

 「Mai-K(まいかい) a tumarrow 2005」専用掲示板
 
http://ohho.pro.tok2.com/cgi-bin/c-board/c-board.cgi?cmd=;id=fc2005

 「Mai Kuraki Live Tour 2005 LIKE A FUSE」
 
http://ohho.pro.tok2.com/cgi-bin/c-board/c-board.cgi?cmd=;id=live2005

 それにしても、掲示板をアップするのがこんなに迫った時期になってしまうなんて、我ながら想像もしてなかっただ。

   ●

 テスト、テスト。
 お願いしてる仕事の件は、是非とも検討してよ。
 (↑友達へ当てての伝言です。でも、インターネットのメールを、ほとんど見ないからなあ〜)

   ●

 野菜のゴーヤの実が、大きく大きくなる季節となりました。
 倉木さん、ゴーヤ、食べてる?
 畑になってるゴーヤの葉っぱは、とても薬のようなにおいがしました。
 健康にいいんじゃないか、とそんなことを考えるのだなあ。

   ●

 FCイベントに参加される人は、楽しんできてね〜。
 倉木さんもスタッフのみなさんも、みんなが楽しめるイベントになりますよーに。

 

▼前の日記へ ▲次の日記へ ▲トップヘ


2005年6月9日(木)
一番ショックを受けた。


 いつ以来の、この日記かな?

 ま、いいや。
 昨日の夜は、ここ何十年で一番ショックを受けた日だった。
 それは、笑いながら教えられた話だったのだけれども。
 覚悟ができてて聞く話と、覚悟が全くできていない状態で聞く話の差なのだろうか。
 とにかく、頭の中は「嘘だろ?」「夢かな?」でいっぱい。
 昨日の夜からぼくのこれからの生き方が変わっていくのだろうなあ。

   ●

 と、話の中身は今のところは何も書かないでおいて。

 そうそう、話は全く変わって。

 いい病院を知ってる人いません?
 特に、日本の人がよくなる病気を治すことで実績のあるところ(有名じゃなくてもOK)。

   ●

 ここ数年は、全然、な〜んもしてなかったけど、まずは手始めに、『OHHO』の復刻版みたいなものを作れたらいいな。

 

▼前の日記へ ▲次の日記へ ▲トップヘ


2005年3月22日(火)
卒業、おめ〜でと〜。


 ふ〜。

 倉木さーん、卒業おめでと〜。

 ということで、掲示板を追加。

 『倉木麻衣さん、大学卒業おめでとう!2005』
 
http://hpcgi1.nifty.com/ohho/wakuwaku3_pink2005sotugyou/apeboard_plus.cgi

   ●

 あ、明日、新曲『ダンシング』の発売日だった。

 
まだ買ってない〜

   ●

 猛烈に駆け足で、嵐のような日々が終わらない。
 なんなんだ、この2005年は、油断がないぞ〜、すきがないぞ〜。
 

▼前の日記へ ▲次の日記へ ▲トップヘ


2005年1月3日(月)
1曲が30秒でもいいじゃないか。


 ぼくはまだ携帯電話を持っていない(たま〜に携帯電話から掲示板に書き込んだこともあったが、あれは知人の携帯電話を借りたものだったりする)。
 だから、今から書くことはすべて、携帯電話を持っていないぼくの机上の空論。

   ●

 携帯電話に着メロというものがある(らしい)。
 電話がかかってきた時とか、メールが届いた時になる音楽(だそうだ)。
 最近は、着メロにプラスして、着うたというものも出てきた(らしい)。
 着うたとは、本物の歌手が歌う曲の一部を、着信の音楽にしたもの(だそうだ)。

 う〜ん、なんだか(らしい)や(だそうだ)ばかりだ。
 以降はその言葉は省略するとするか。

 で、その着うた。
 今は「着うたフル」というものが出てきた。
 「着うたフル」とは、着うたのフルバージョン。つまり、本物の歌手が歌っている曲全部が携帯電話の中に取り込めるというもの(らしい)。(あ、だめだ。らしいは使っちゃうね)

 さらにさらに、「着うたフル」に対して今度は「カバー着うた」というものが出ているらしい。
 日本エンタープライズさんのホームページにこんな記事があった。

 〈日本エンタープライズ株式会社は、高音質着うたサイト「うた&メロ取り放題☆」にて、メジャーアーティストが「携帯のために」制作した音楽を提供する「ケータイレーベル宣言!」のサービスを開始いたします。このサービスを通じて「うた&メロ取り放題☆」では、携帯での配信を主軸においた音楽を制作し、人気楽曲やそのアレンジを提供するこれまでの概念を覆す「着メロ・着うた」の新しい世界を開拓します。
   (『日本エンタープライズ』2004年4月27 日
    『(うた&メロ)ケータイレーベル宣言!』より)

 『日本エンタープライズ』さん
 
http://www.nihon-e.co.jp

 で、具体的に「カバー着うた」とはどういうものかというと、

 〈携帯電話で聞ける30 秒の音楽。現在携帯電話で配信されているものは、数分の音楽から切り取られた30秒です。これでは、その楽曲のたった一部を聞いているだけに過ぎません。しかし、その30 秒という時間を前提にした携帯専用の音楽を作れば、単に楽曲の一部ではない今までとはまったく違う音楽の世界ができるはず。そこで今回チャレンジしたのは、メジャーアーティストが「携帯のために」音楽を制作し、「携帯から新しい音楽を発信」していくということなのです。

 つまり、1曲の時間を30秒以内にし、それをすべて着うたにしてしまおうというものらしい。
 「着うた」=「着うたフル」という発想。

   ●

 そういやテレビCMソングが売れまくっていた頃、1曲はサビの15秒の印象さえよければ、ぼくらはウヒョウヒョ喜んだもの。
 歌の始まりはなんの曲かわからなくても、サビだけはみんな一緒に歌えるというか。

 (しかし、それは後々、15秒以外は退屈なメロディをくっつけただけというイメージを作り出すことになる。実際、サビ以外のメロディと歌詩は全く思い出せない。CDを買っても15秒以外の無駄な部分がついてくるので、「ダマされた」&「もったいない」的印象がつのっていく)

   ●

 で、何が言いたいかというと、そうか

「1曲が30秒で終わる曲があってもいいではないか」

ということ。
 ビートルズの最初の方の曲も、みじか〜い曲が多かったじゃないか(?)。
 そんな感じ。

 無理矢理、1番に合わせて2番をつくり、そしてちょっと違うメロディの部分をつくり、最後に繰り返しのサビを持ってくる。
 テレビCMソングのサビの15秒を、CDとして売るために3分の曲にする方法。
 でも、そんな曲は、最初から起承転結が見えてしまい、1回聞けば飽きてしまう。
 「別に2番はいらんやん」と思ってしまう。
 それなら、30秒にギュッと圧縮している曲があってもいいじゃないか。

 
「えっ、もう終わったん? もっと聴かせて〜」

 そう思ってしまう曲があってもいいじゃないか。

   ●

 洋楽ってそんな感じの曲が多い気がするのは気のせいか。
 1曲が30秒くらいで終わっているんだけど、その繰り返しで気分を盛り上げていく曲。とってつけたメロディをくっつけるのではなく、同じメロディで押して押して押しまくる曲。
 例えば、倉木麻衣さんなら『SAME』もそうかな(?)。
 『SAME』に繰り返し流れているメロディが、「おおっ、このメロディは好き」という引きつけるものだったら、あれほど好き嫌いが分かれる曲にはならなかったと思うんだけどなあ。

   ●

 ま、そんなことで、「1曲30秒で収まる曲はどう?」と、2005年の最初の提案を倉木麻衣制作チームのみなさんにするのでした。

 でも、ぼくが倉木さんの曲に引かれたのは、15秒のテレビCMに収まってしまう曲ではないことが大きな理由だったりするからなぁ。
 サビの15秒を薄く30秒に伸ばした曲ではなく、3分にしか収まらないものをギュッと30秒に縮めた曲とは、その出来上がりは全く違うものになると思うんだけどなあ。
 でも、これは机上の空論かなぁ?
 

▼前の日記へ ▲次の日記へ ▲トップヘ


2005年1月2日(日)
アンケートを追加。


 アンケートを一つ追加。

 『2004年の紅白歌合戦に出場した倉木さんに一言。』
 
http://pro.tok2.com/〜ohho/cgi-bin/ank2/tvote.cgi?event=ankmai111

   ●

 今日のABCテレビさんで倉木麻衣さんが映ったのでびっくり。
 しかも、結果的にではあっても、倉木さんが芸能番組で肉声を披露したのはこれが初めてだったのでは?

 番組は、

 『新春ワイドショーSP速報!!ハワイ・紅白(秘)大追跡…芸能一番出し
 (1)モー娘・氷川きよし和田アキ子…素顔劇撮紅白歌合戦の舞台ウラ』

 倉木さんが登場したのは午前9時15分頃。
 紅白歌合戦に出場した人たちが、NHKさんから外へ出る通路を通る場面の出来事。
 最初に今年NHKさんで『義経』さんの主役を演じる滝沢秀明さんが駆け足で通り、Gacktさんが「おつかされまでした」というような声をかけながら通り、大塚愛さんがインタビューに答えた後のことだった。
 向こうからストレートヘアーの倉木さんが近づいてきた。
 そのことに気づいたレポーターの方何人かが、「倉木麻衣さんおつかれさまでした」「どうでしたか、紅白は?」というような声をかけた。
 倉木さんはその声を聞く前から、通路に並んでいる人たちにおじきをしながら、「おつかれさまでした」というような口の動きをしていた。
 レポーターさんが並んでいるところの前に、倉木さんのスタッフの人(女性の方)が待っていたようで、その人にも「おつかれさまでした」というような口の動きをした。
 レポーターさんのかけ声に気づいた倉木さんは、レポーターさんたちの方を見て、「いい思い出になりました」と答えた。スタッフの人は倉木さんを先に進ませようと手で誘導していたが、倉木さんは頭を何回か下げ、通路の出口の境目のところに少し立ち止まりながら答えた。
 
 「どんな感じにしたいですか、2005年は?」というような声もレポーターさんたちからかかった。もう通路から外へ体がほとんど出ていた倉木さんは「がんばります」と答えた。
 倉木さんは笑顔でした。

   ●

 ま、紅白さんの視聴率